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2002年01月20日(日) 大物

世に大物と呼ばれる人がいる。
特に芸能界に、そう呼ばれる人が多いような気がする。
ワイドショーなどでよく「大物俳優○○、不倫発覚!」などとやっている。
「○○のどこが大物なんだ?!」と、ぼくはいつもひねた目で見ている。
たまたま若い頃からいい役回りをしてきて、それを長年やってきただけの人じゃないか。
確かに素質もあったのだろう。
確かに努力もしたのだろう。
しかし、そのくらいで大物と呼ばれるのはおかしい。
それなら、仕事上手の年配の人、すべてを大物と呼んでもいいじゃないか。
ベテラン芸能人だから大物なのだろうか?
いつも主役を張っているから大物なのだろうか?
テレビに出るから大物なのだろうか?
もしそうであれば、あまりに安易過ぎる。

さて、周りが「大物」だと持ち上げると、本人も悪い気はしないのか、急に言動が変わってくる。
お笑い系の人までが、大物呼ばわりされだすと、急に人生訓などを語りだす。
いつも馬鹿ばかりやっていたくせに、急に人生訓もないものだ。
結局そういう言動が板についてないから、すぐにボロが出る。
藤山寛美がそうだった。
寛美がトーク番組に出ているのを見たことがあるが、彼の言動には嫌味があった。
とにかくこの人は自慢話が多く、「ああせないかん。こうせないかん」と余計なことまで言っていた。
それを大物ぶって話すものだから、嫌味に感じたものだった。
確かに天才と呼ばれただけあって芸はすごいのだろう。
しかしそれは芸の上だけのことだ。
トークを聴く限りでは、仕事上手を鼻にかけた、ただのおっさんであった。

以前、森繁久弥が若い役者を集めて、「ユダヤのことわざに・・・」などと言っているCMがあった。
若い役者は目を輝かせて聞いている。
まるで、飼い主を見る犬のような目をしていた。
確かコカコーラのCMだったと思うが、ぼくはあれが嫌いだった。
「若い衆集めて説教垂れるなら、ユダヤのことわざよりも自分の意見を言え!
」といつもそのCMを見るたびに思ったものだった。
ぼくの友人に、その森繁久弥の信仰者がいた。
森繁が偉そうなことを言うたびに、「ああ、さすが大きな人の言うことは違う」などと感動していた。
「社長漫遊記のおっさんの、どこが大きいんだろう?」と、ぼくはいつも思っていた。
ぼくは、大物ぶらず、喜劇役者に徹していた、伴淳三郎や由利徹のほうがはるかに好きであった。
大物と呼ばれ、喜劇をやらなくなった森繁とは対照的に、伴淳や由利は最後まで喜劇をやっていた。

貴乃花が結婚した時の話だ。
ワイドショーの女性リポーターが、興奮気味にインタビューをしていた。
「おめでとうございます。今日は横綱の結婚式ということで、日本中が喜んでますよ」などと言って持ち上げていた。
貴乃花はいつもの調子で、よく聞き取れない声でボソボソと言い、ヘラヘラと笑っていた。
「バカ横綱の結婚ぐらいで、日本中は喜ばんわい!
少なくとも、おれと宮沢りえは喜んでないわい!」
と思いながら聞いていたものだ。
そのうちマスコミは、このバカ横綱のことも大物などと呼ぶようになるのだろうが、その頃になっても、この家系は相変わらずスキャンダルだらけだろう。
その際、いったい何を基準にして、マスコミは「大物」と呼ぶんだろう?
生涯成績か?
はたまたワイドショーへの露出度か?
仮に貴乃花が「大物」と呼ばれるようになっても、少なくとも、ぼくと宮沢りえは認めないだろう。

しかし、これを書いて思ったが、「大物」と呼ばれる人は、実にバカが多い。
世間知らずばかりだ。
また、この世間知らずを大物と呼ぶマスコミもバカが多い。
いったい何を勉強しているのだろうか?
こいつらのおかげで、そのうち日本中が大物だらけになってしまうだろう。


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