世に大物と呼ばれる人がいる。 特に芸能界に、そう呼ばれる人が多いような気がする。 ワイドショーなどでよく「大物俳優○○、不倫発覚!」などとやっている。 「○○のどこが大物なんだ?!」と、ぼくはいつもひねた目で見ている。 たまたま若い頃からいい役回りをしてきて、それを長年やってきただけの人じゃないか。 確かに素質もあったのだろう。 確かに努力もしたのだろう。 しかし、そのくらいで大物と呼ばれるのはおかしい。 それなら、仕事上手の年配の人、すべてを大物と呼んでもいいじゃないか。 ベテラン芸能人だから大物なのだろうか? いつも主役を張っているから大物なのだろうか? テレビに出るから大物なのだろうか? もしそうであれば、あまりに安易過ぎる。
さて、周りが「大物」だと持ち上げると、本人も悪い気はしないのか、急に言動が変わってくる。 お笑い系の人までが、大物呼ばわりされだすと、急に人生訓などを語りだす。 いつも馬鹿ばかりやっていたくせに、急に人生訓もないものだ。 結局そういう言動が板についてないから、すぐにボロが出る。 藤山寛美がそうだった。 寛美がトーク番組に出ているのを見たことがあるが、彼の言動には嫌味があった。 とにかくこの人は自慢話が多く、「ああせないかん。こうせないかん」と余計なことまで言っていた。 それを大物ぶって話すものだから、嫌味に感じたものだった。 確かに天才と呼ばれただけあって芸はすごいのだろう。 しかしそれは芸の上だけのことだ。 トークを聴く限りでは、仕事上手を鼻にかけた、ただのおっさんであった。
以前、森繁久弥が若い役者を集めて、「ユダヤのことわざに・・・」などと言っているCMがあった。 若い役者は目を輝かせて聞いている。 まるで、飼い主を見る犬のような目をしていた。 確かコカコーラのCMだったと思うが、ぼくはあれが嫌いだった。 「若い衆集めて説教垂れるなら、ユダヤのことわざよりも自分の意見を言え! 」といつもそのCMを見るたびに思ったものだった。 ぼくの友人に、その森繁久弥の信仰者がいた。 森繁が偉そうなことを言うたびに、「ああ、さすが大きな人の言うことは違う」などと感動していた。 「社長漫遊記のおっさんの、どこが大きいんだろう?」と、ぼくはいつも思っていた。 ぼくは、大物ぶらず、喜劇役者に徹していた、伴淳三郎や由利徹のほうがはるかに好きであった。 大物と呼ばれ、喜劇をやらなくなった森繁とは対照的に、伴淳や由利は最後まで喜劇をやっていた。
貴乃花が結婚した時の話だ。 ワイドショーの女性リポーターが、興奮気味にインタビューをしていた。 「おめでとうございます。今日は横綱の結婚式ということで、日本中が喜んでますよ」などと言って持ち上げていた。 貴乃花はいつもの調子で、よく聞き取れない声でボソボソと言い、ヘラヘラと笑っていた。 「バカ横綱の結婚ぐらいで、日本中は喜ばんわい! 少なくとも、おれと宮沢りえは喜んでないわい!」 と思いながら聞いていたものだ。 そのうちマスコミは、このバカ横綱のことも大物などと呼ぶようになるのだろうが、その頃になっても、この家系は相変わらずスキャンダルだらけだろう。 その際、いったい何を基準にして、マスコミは「大物」と呼ぶんだろう? 生涯成績か? はたまたワイドショーへの露出度か? 仮に貴乃花が「大物」と呼ばれるようになっても、少なくとも、ぼくと宮沢りえは認めないだろう。
しかし、これを書いて思ったが、「大物」と呼ばれる人は、実にバカが多い。 世間知らずばかりだ。 また、この世間知らずを大物と呼ぶマスコミもバカが多い。 いったい何を勉強しているのだろうか? こいつらのおかげで、そのうち日本中が大物だらけになってしまうだろう。
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