ぼくは姓名判断をやっているせいか、噂を聞きつけた人がよく「私の名前を見て下さい」とやってくる。 「子供の名前を付けて下さい」と言ってくる人もいる。 中には「離婚して自立したいのだけど、そういう名前はありませんか?」という人までやってくる。 ぼくは基本的に、名前を見ることは拒まない主義なので、時間があれば見てあげることにしている。
ぼくの姓名判断は、本に載っているような「運命」や「運勢」を鑑定するものではなく、その名前に現れる「性格」を判断するものである。 姓名判断を始めたきっかけが人間観察だったから、そういうふうに流れたのだと思う。 一口に性格といっても、考え方の性格・行動の性格・自分で感じている性格・他人から見た性格などいろいろある。 それらを一つ一つ、指摘していく。 まあ、だいたい当たっているようだ。 しかし、必ず最後に受ける質問がある。 「私はどういう運命をたどりますか?」または「私の運勢はどうですか?」というものだ。 先にも言ったように、ぼくの姓名判断は性格を見るもので、運命を見るものではないので、答えるのにいつも窮している。 姓名判断の本に載っているように答えれば楽なのだろうが、同じ画数でも違う人生をたどるのだから、そんな無責任なことは言えない。 例えば、「総画数24画の人は大金持ちになる運命だ」と本では書いているのだが、この画数で多額の借金を背負ったまま死んだ人も実際いるので、「あなたは大金持ちになりますよ」などと不確定なことを言うことは出来ない。 そこでぼくは、ぼくの姓名判断の中の「運命」というものを考えてみた。 十数年かかって出した答が「運命とは人生の性格である」だった。 つまり上の24画の例で言えば、「あなたの人生は、お金に左右されやすい性格だと言えます」である。
さて、上の運命の結論は姓名判断の結論であって、ぼくは別に運命を否定しているわけではない。 逆に「運命を否定する人」を否定している。 よくいるでしょう?「私は運命なんて信じません。運命は自分で切り開くものと思ってますから」と言う人が。 しかしそれは視野の狭い人が言うことだ。 もっと広い視野に立てば、そんな間抜けなことは言えないはずだ。 そういう人がいたら、ぼくはいつもこう答える。 「はい、よくわかりました。あなたの運命は『運命は自分で切り開くこと』と思う運命です。そう答えるぼくも、そう答える運命なのです」と。 まあ、こう言ってもその人は視野の狭い間抜けな人だから納得はしないのだが。 ぼくは「これからどんな運命が待っているのか?」と考えるより、「今どういう運命をたどっているのか?」と考えるほうが好きだ。 今たどっている運命。 はい、もう午前1時を過ぎたのに、まだ日記が出来ずに「ヒーヒー」言っている運命です。
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