頑張る40代!plus

2001年10月23日(火) 休日出勤

今日は7時50分に家を出た。
休みだったのだが、8時半から会社でイベントをやるから来いというのだ。
ぼくはいつもは、9時半から朝礼があるので、9時に家を出ている。
その時間帯、渋滞はほとんど解消されているので、比較的早く会社に着く。
家から会社までは、だいたい20分ほどだ。
しかし、今日の場合はどのくらい渋滞しているかわからない。
しかたなく、7時50分に家を出たしだいである。

会社に行くためには、県内でも有名な渋滞地区黒崎を通らなければならない。
ぼくは高校の頃から、いつもこの渋滞に泣かされた。
ぼくの住んでいる所から高校に行くためには、黒崎でバスを乗り換えなければならない。その黒崎まで行くバスが、時刻表どおりに黒崎に到着しないのだ。
ぼくの通った高校は黒崎を通らないと行けない場所にあったので、洞海湾を逆に周って若松・戸畑経由(かなり時間がかかる)で行く以外に、黒崎を避けて高校に行くすべはない。
当時黒崎発で高校の最寄のバス停通るバスは、8時台には2本しかなかった。
たしかあとのほうが8:21発で、これに乗り遅れると遅刻ということになった。
だから、うちの高校の生徒は、みんな必死でこのバスに乗り込もうとする。
乗車率はいつも150パーセント以上になっていたと思う。
一般のお客が乗っていて、途中で降りようものなら、運転手は言葉を荒げて「ここで降りるんなら、このバスに乗らんで下さい!」と言っていた。
しかし、ぼくは渋滞のおかげで、このバスには乗れなかった。
このバスが発車する頃には、ぼくはまだ2つ手前のバス停にいた。
で、高校3年の時、遅刻回数は100日を軽く超えていた。
担任は他校でも有名な頑固な先生であった。
最初の頃は「遅刻したらつまらん!」と尋常な注意を受けていたのだが、あまりに遅刻が多いので、拳骨をもらったり、職員室前で正座をさせられたりした。
三者面談の時にも、進路の話はそっちのけで、遅刻ことをしきりに母親に言っていた。
が、母親もこの渋滞の被害者だったので、息子の弁護をした。
担任は「それなら1本早いバスで来なさい!」と言うと、母は「その1本前のバスがないんです!遅刻しないよう、バスの本数を増やしてくれるように、先生から西鉄に言って下さい!」と応戦した。気丈な母親である。
担任は、もうそれ以上遅刻のことを言わなかった。

 ※ この黒崎という地区は、昔から交通の要所で、長崎街道はこの黒崎が起点になっていたのだ。
実際は小倉が起点だが、下関からの船は黒崎に着いていた。参勤交代は豊前を通らずに筑前から船で長州に入っていた。ちなみに司馬遼太郎の「竜馬が行く」でも、長州から太宰府に向かう竜馬が、下関から船で黒崎に入ったと書いている。
ということは、この頃下関〜黒崎間の船便はけっこう多かったらしいから、船の渋滞もあったかもしれない。
ということは、竜馬も遅刻したのだろうか?

さて、そんな黒崎を通り抜けていくために、通常の所要時間の2倍、つまり40分間を想定して出かけた。
ところが、面白いことに気がついた。
家から黒崎に向かう道は片道2車線なのだが、左車線は詰まっているが、右車線のほうは比較的スムーズに動くのだ。
2km近く渋滞している左車線を尻目に、ぼくは右車線をスムーズに進んでいった。
そして、左車線の渋滞の先頭の所まで来ると、どの車も道沿いにある三菱化学に入ろうとしている。社員の出勤時間だったのだ。
「右車線に入っとってよかった。今日は運がいい」とぼくは思いながら、会社に向かった。
途中、その他の場所で渋滞につかまり、着いたのは8時25分だった。
「間に合った。よかった。やっぱり今日は運がいい」と思い事務所に入ると、店長が「お、しんちゃん今日は早いねえ」と言った。
「だって8時半からでしょうが?」と言うと、「ああ、この店は9時でよかった」と言った。
せっかく朝早く家を出て、渋滞を要領よくかわしてきたのに。それも休みなのに。
あーあ、今日は運が悪い。


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