| 2001年10月10日(水) |
今の日本人に一番必要なもの |
昨日の虚脱感は何だったんだろう? いつものようにパソコンの前に座り、日記を書こうとしたのだが、何を書いていいのかわからない。 ボーっとして、心ここにあらず状態だった。 いったい何を考えていたんだろう? ただいたずらに時間だけが過ぎていく。 気がついたら、宗教のことを書いていた。
「日本人は無宗教だ」とよく言われる。 何故か? それは戒律がないからである。 ただそれだけだ。 たしかに他の国家に比べると、戒律はないに等しい。 ここには迷信があるだけだ。 しいて戒律をあげるとすれば、憲法くらいか。 しかし、憲法論争も他の国の人が見たら、こっけいに感じるだろう。
戒律で思い出したが、江戸時代に盤珪という臨済宗の坊さんがいた。 この人がある僧から「私は戒律を守る律宗に命をかけておりますが、禅師は律宗をよく思われますか?悪く思われますか?」と訊かれた。 この時の盤珪の答がふるっている。 「いかにも悪いことじゃござらぬ。よきことでござる。しかしながら・・・・・・律宗というて至極のように思うことは恥ずかしいことでござるわいの・・・」 元々人の物を盗まない人に「物を盗むな!」という戒律はいらない。 盗みをするから、「物を盗むな!」という戒律が必要になる。 浮気をしない男に「浮気をするな!」という戒律はいらない。 浮気をするから、「浮気をするな!」という戒律が必要になる。 嘘をつかない人に「嘘をつくな!」という戒律はいらない。 嘘をつくから、「嘘をつくな!」という戒律が必要になる。 つまり、戒律を守るというのは、元々何もやらない人にとっては必要ないものである。 ついついやってしまうから、戒律が必要になる。 だから「私は戒律を守っています」ということは恥ずかしいことだ、と盤珪は結論付けている。 ということは、戒律を必死で守っている外国人は恥ずかしいことになるなあ。
ぼくは日本ほどの宗教国はないと思っている。 たしかに戒律や教義がないので、それを守る必要はなく、目に見える宗教活動はやってないように見える。 しかし、日本人の一つ一つのしぐさやものの考え方は、不思議なくらい宗教にかなっている。 作法を教わっていなくても、死んだ人にはちゃんと手を合わせるじゃないか。 神様・仏様の祈り方を知っているじゃないか。 人とすれ違う時は会釈をするじゃないか。 相手の立場にたって、物事を考えるじゃないか。 滅私奉公をいとわないじゃないか。 諸芸百般、宗教でないものはない。 日本人の日常生活、それは宗教そのものだ。
もはや宗教を超えている日本人に、宗教の必要はないんだ。 今の日本人に一番必要なものは道徳と勇気だ。
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