おそらく福岡県だけのことだろうが、最近マツモトキヨシのCMが話題になっている。 喫茶店で若い男女(おそらく男がナンパしたんだろう)が会話している。 「彼女、出身博多なの?全然見えないなあ」 「私、東京長いから」 「博多といえばさあ、今度マツキヨができるんだって」 今まで気取っていた女が、突然目を輝かせ、大きな声で、 「エッ、ちかっぱビックリ・・・」と博多弁らしき言葉でしゃべりだす。 あっけに取られている男に、女は小さな声で、 「チョービックリ」と言い直す。 このCMはニュースの後や番組と番組の間などでやっており、たまに見る程度なので、会話はちょっと違うかもしれないが、だいたいこんな内容だったと思う。
これを見て感じたことがある。 一般に東京の言葉は冷たいといわれるが、それは違うと思う。 実際多くの東京人と接したが、冷たいと感じたことは一度もない。 冷たいと感じるのは、地方出身者の東京言葉ではないだろうか? 無理矢理なれない言葉を使うので、感情表現がうまくできずに、腹に力の入らない口先だけの表現になってしまうのではないだろうか? それを傍で聞くと冷たく感じるのだろう。 このことは、メロディだけ知っていて歌詞を知らない歌を歌うのとよく似ている。 どうしても歌詞を追ってしまい、感情移入ができてないので、聞く側としては冷たく感じるものである。
二十年程前にぼくは東京に住んでいたが、東京言葉でしゃべるのが嫌いだったので、最初から最後まで北九州弁で通した。 しかし、それで不便するようなことはなかったし、友達もたくさんできた。 逆に東京の人間が、ぼくの北九州弁に感化されたくらいだ。 他の地方の出身者には、いつも「もっとふるさとの言葉を大切にしろ」と言っていた。 つまり「無理してなれない言葉を使うな」ということだ。
ところで「ちかっぱ(力いっぱい)ビックリ」は博多弁ではない。 大げさにビックリするところが、博多人らしいということだろう。 北九州の言葉でいえば「でたんビックリ」になる。
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