2001年08月22日(水) |
閑かさや岩にしみ入る蝉の声 |
今まであまり意識しなかったのだが、街の騒音というのは凄いものがある。 車の音・工場の音・工事の音・電車の音・船の音・電化製品の音など、いろいろな音がミックスされて、街の音を作っている。 言い換えれば、音が垂れ流し状態になっているということだ。 ぼくの家は、工場団地の真向かいで、港の近くで、JRの鹿児島線と筑豊線に挟まれ、国道3号線と199号線のバイパスに囲まれ、その2線を繋ぐバイパスがすぐ前を走っているので、夜でもかなりうるさい。
もし江戸時代の人が現代に来たら、耳を悪くしノイローゼになるかもしれない。 江戸時代は、上に列記した音がまったくなく、あるのは風の音・波の音・鳥の声・虫の声ぐらいだったろう。 大八車を引いて大声をあげ、暴走行為をする若者もいなかったと思う。 当時の騒音といえば、蝉の声ぐらいか。 自然環境のよさや、昆虫採集などの人為的な淘汰がなかったおかげで、今以上にうるさかったのかもしれない。 それでも、「お代官様、蝉の声がうるそうてかないませぬ。何とかしてくだされ」と訴えるようなことはなかっただろう。 「蝉騒音追放!」という立札もなかっただろうし、「藩は蝉騒音の原因である樹木を伐採しろー!」という抗議行動もなかったに違いない。 日本民族というのは、元来、自然と共存してきた民族である。 今と同じように、蝉の声を騒音として捉えずに、夏の風物詩として捉えていたことだろう。
それにしても、江戸時代はどのくらい静かだったのだろうか? 日露戦争の時、日本海海戦の大砲の音が数十キロ離れた港町まで聞こえたという。 いかに海の上といっても、今なら数十キロ先の音は聞こえないだろう。 この時にはすでに八幡製鉄所は開業しており、鉄道は引かれていたのだから、多少の騒音はあったはずだ。 そんな明治後期にしてこの調子だから、製鉄所も鉄道もなかった江戸時代はどんなに静かだっただろうかと考えてみたくもなる。 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」 静寂きわまる世界を、ぜひ一度体験したいものである。
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