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2001年08月21日(火) 台風の想い出

今回の台風はうまく北部九州を避けてくれたので、若干の風が吹いただけで終わった。雨も昼間にちょっと降っただけだった。
こんなことなら銀行に行っておくんだった。

台風といえば10年前の台風19号を思い出す。
この台風は、対馬海峡から日本海を通過して行った大型の台風で、各地に被害をもたらした。
青森のリンゴが壊滅状態になったのを覚えている人もいると思う。
その日ぼくは仕事だった。
大きな台風だというので、状況を見て店を閉めようということになっていたが、上の人間が優柔不断だったため、いつまでも閉店時間を長引かせていた。
午後7時で閉店の店だったが、5時を過ぎた頃から客足は途絶えて、5時半には店内にお客が一人もいない状況になった。
すでに近くのデパート「井筒屋」は店を閉めていた。
それを見て近隣の量販店や商店街の店は次々と店を閉めていった。
おそらく5時半の時点で店を開けていたのは、ウチぐらいだっただろう。
それでも上は閉店の指示を出せないでいた。
「1円でも多く売る」という店の方針がそうさせていたのだ。
テレビでは「JRが運行を見合わせた」というニュースをやっていた。
当時ぼくはJRで通勤していたが、これでバスで帰らなければならなくなった。
続けて西鉄北九州線も不通になり、6時を過ぎた頃には西鉄バスも運転をまもなくやめると言い出した。
それでも店を閉めない上司に「店にお客さんは誰もおらんやないですか。もうすぐバスもなくなるというのに、いつまで店を開けとくつもりですか!」とぼくは突っかかっり、独断で部下を帰らせた。
そうこうしていると、突然店の照明が消えた。
「やれやれ、やっと終わったか」と思ったが、消え方がおかしい。
どうしたんだろうと事務所を覗いて見ると、なんと停電したというのだ。
シャッターは下りず、店は開いたままだった。
結局店を閉めたのは6時50分、ほとんど通常と変わらない時間だった。
もはや西鉄バスも動かなくなっており、ぼくはいよいよ帰れなくなった。
仕方なく、おそらくまだ働いているであろう友人に電話し、「どうせ帰れんのやけ飲みに行こうや」と誘った。
そして2時近くまで友人と会社の不満をぶちまけあっていた。
帰る頃にはもう風はおさまっていたが、ぼくの会社に対する不満はおさまらなかった。
そしてぼくは一つの決断をした。
2ヵ月後、ぼくは11年勤めた会社を辞めた。


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