みゆきの日記
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2003年07月11日(金) |
遠い昔のお話(つづき) |
ああ、なんか書くのがつらくなってきちゃったな。 私、どうしてこんな大昔のつまんない話をひっぱりだしているんでしょうか。 当時のことをいろいろ思い出して書いていたら、ものすごくブルーになってきてしまった。 死にたいとさえ、ちらっと頭をかすめた16歳の冬・・・。 かいつまんで書いてしまおう。
結局ね、おばあちゃんは精神的ストレスから一時的に記憶をなくしたりする病気になってしまって、 (一過性健忘症とかいう病気だった) 私の世話は大変なので、私は寮に入ることになったのでした。 そこに至るまでには結構私が傷つくこともいろいろとあったのだけれど、 結局はそれが一番の選択だったのだろう、誰にとっても。 私の行っていた高校に寮があってよかったなぁ、と思う。 そうでなければ、母が帰国するとか、もっと大事になっていただろうから。
そして私のジャンクフード漬けの一年間は終わったのだった。 よかったわ、一年で終わって。 もっと続いていたら、取り返しのつかないからだになっていたかも。 本当に、今では信じられないくらいの量を毎日食べていたもんね。 あの頃部活もやってたし(テニス部だった)、よく食べる年頃でもあったのカモ。 だけど、食事って大事だからね。 あの時そんなものばかり食べていたから生理不順になったのかしら。
今考えると、私は年齢のわりに幼い、世間知らずの15歳だったな、と思う。 うまくやっていく方法はいくらでもあっただろうから。 私がつらい想いをしているので、母もよく泣いていたらしい。 (そんなこと当時はちっとも知らなかったけど) 母と、祖母が決してうまくいっていないことや、 祖母と曾祖母との間の確執なんかを知ったのもその頃だった。
私の母も、はやく実母を亡くして、継母とのことではいろいろ苦労をした人なのだ。 でも今は幸せと笑う。 幸せってなんなんだろうな。
菜子が私の足にしがみついて、頭をぶんぶんと振っている。 私にも同じことをしてほしいのだ。 これは最近彼女が覚えた遊びで、私がまねして頭を振るとキャッキャッと声を立てて笑う。 やめると怒るのでフラフラしてくるまで、頭を左右に振りながら、 なんだか涙がでちゃうくらい、幸せだなーなんて思ったり。 菜子が、私たちがいなくなっても一人でも幸せになれるように、 きちんと育ててあげなくちゃと思ったり。
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