行人徒然

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死体は蝋人形に似ている。
2004年05月03日(月)

 昨日家に帰ってみると、お通夜は17時に決まっていた。だけど、その前におじいちゃんの顔を見て挨拶したいという事で、9時に家を出る。普通の服で車に乗って、喪服はトランクへ。喪服なんていっても、いつものダークグレーのスーツだけどな。
 昨夜のうちにゆみくんへメールを打っておいたら、途中で電話が来た。なんで死んだの?そう聞かれてもなぁ・・・・入院したと言う事は最近になって教えたけど、それはあくまでも「加老の為」と言う事で、アルツハイマーで身内の顔すらわからなかったのだとか、その原因は前立腺肥大の治療方法がショックだったらしいとか、そう言う事は伏せておいたのだ。だから、差し障りなく、今回も「加老だよ」とだけ言った。うそつきな姉だ。帰国したらすぐに挨拶に行くといっていた。それがいいよ。電報を打つといってたけど、そりゃあんた、遠いから国内から代わりに打つ事にした。
 途中でご飯を食べている時に、そのネイル派手じゃない?とか聞かれた。そうかなーとも思ったんだけど、大粒のラメが入っているので念の為に地味なネイルとチップ、両面テープ(ぉぃ)を購入。母さんに見せて、派手だと言われたらチップで偽装しようという魂胆だ。しかし、店が悪いのか、田舎のせいか(失礼)、ろくな色もないけど、無地のチップもない。参ったなぁ・・・。なんか、以前ネイルアート見せた時、また見せてと言っていたような気もするし、いいかなぁ。
 千葉に着いておじいちゃんに挨拶する。
 う〜ん。蝋人形のようだ。生きてるようには見えないな。これが第一印象。
 頭に白い飾り・・・あれ、なんていうんだろう。なんか、赤ちゃんの頭飾りにも見えるし、ロリータ系のそういう飾りにも見える。キューピー人形がまいていたような、あの白い、フリルのついた、あれ。ちょっと可愛いぞ。これが第2印象。
 バカなコトを考えていたけど、羊羹を供えて枕元に座ってみたら、ああ、おじいちゃん、死んじゃったんだなーと実感。なんだか泣けてきた。
 お線香を上げて、それでもまだ、ここに寝てるのはマダムタッソーが作ったアレじゃないかなんて思いながら、居間へ移動。横浜の親戚たちが来ていて、従姉二人とみきくんと4人で、先に斎場へ行く事になった。
 斎場でしていた事といえば・・・・お茶を飲みながら、茶請けを食べまくる。アホな話で笑いまくる。できあがってない祭壇設営を見ながら感心する。といったところで、全然葬式っぽくないんだな、これが。
 みんなが揃って湯灌になった。昔、湯灌をバイトにしている人の日記を読んでいたせいか、いろいろ考えて笑ってしまう。最初からいると、お洒落なおじいちゃんはきっと恥ずかしがるだろうからと、孫達は遠慮していた。だから、最後に顔を洗う時だけ一緒にいた。
 頬は死語硬直がとけたのか、かなり柔らかくて、おじいちゃんがまた笑ってるみたいで、あたしも笑った。お風呂好きだったのに、入院してからちっとも入れなかったもんね。
 その後祭壇ができあがって、いつのまにかおじいちゃんがそこに寝てて。おじいちゃんの顔をみんなで見てたんだけど・・・あれ?さっきよりか笑ってないかい?あ、そうか。みんなでじいちゃん囲んでいろいろ話してるから、きっと楽しいんだね。そんな事を言ったりして、やっぱりお茶を飲んで、健康のためっていって吸うのをやめてた大好きなホープに火をつけてあげて、やっぱり好きなアンパンを出して、仁丹を出して。そんな事をしてたら、そろそろ式が始まるよといわれる。
 坊さんが来て、葬式が始まると、なんだかまた悲しくなってくる。叔父さんや叔母さんがなくなったとき以上だった。叔父さんのときはまだ粋がってた(笑)ので、最後の死者へ向ける言葉で泣いただけだった。おばさんのときは泣き過ぎで偏頭痛を起こして、お通夜も告別式も最後までいられなかった。
 でも、おじいちゃんは覚悟していたせいもあるのだろうか。始終泣いていたけど、取乱し橋なかったし、後悔もしなかった。もっと会っておけばよかった。叔父さんと叔母さんのときはそう思っていたけど、おじいちゃんのときはそう思わなかった。やっぱり、春先からできるだけ足を運んでいたからだろう。涙が出るのは、もう、(まともだったとき)最後に会ったあの正月のように、笑顔で片手を挙げて、いらっしゃいと笑ってくれないからだろう。もう、アレは生き物ではなくて、有機物の塊で、体内を流れる微弱電流は戻ってこないからだろう。
 きっと、耳を近づけたら、崩れていく内臓の、自らを溶かす胃や肝臓の水の音が聞こえる。修二の時は聞こえた。人体展で見た大きな肝臓。絶対に、あの音が聞こえるはずだ。
 なんて考えていたくせに、坊主がいなくなったらあっさりと涙は終った。なんて現金な。葬式が終ったら泣き止むなんて。自分らしいといえばそうかもしれない。
 だいたい、木魚と金の音に、ドリフのコントを思い出して笑いそうになるのも問題だ。泣くか笑うか。本当に自分は悲しいのかな。ま、悲しいんだろう。唇の端が上がらないんだもの。かみ締めっぱなしだから。
 通夜振舞いはあまり食べたくなかった。みんながいなくなった部屋で、おじいちゃんの事を考えていたら、叔母さんたちが来た。
 戦争に行っていた時の話。
 末娘の叔母さんが上京して来た時の話。
 免許とイカ釣りの話。
 杉戸の時の話。
そんな事ばかり話してた。
 お父さん。あたし、お父さんの事が大好きよ。
そういって、末娘のおばさんは泣きながら笑った。
 どこに出しても恥ずかしくないお父さんだったね。
長女の叔母さんは、誇らしげに笑った。
 あたしはそれを聞きながら、またおじいちゃんの顔を見た。死ぬ時まで閉じなかった口元。病院で「閉じてくれた」おかげで、笑ってる口元。糸切り歯が少し内側に傾いている。ああ、おじいちゃん、あたしと同じなんだ。きっと、親不知が倒れていて、歯を圧迫して倒れてるんだよ。あたしそうなんだよ。
 そう言って叔母さんたちにおじいちゃんの歯を指差したら、耳元で「うん、うん」と声がした。後ろには誰もいないよ。声は、おじいちゃんの声だったよ。吃驚したよ。一緒に自分の顔見てるの?
 いつのまにか女がみんな集まっていた。血の繋がった男性は孫3人しかいない。あとは曾孫に一人。男達はいつも、男だけで固まってる。今も、ずっと鮨の前から離れない。女達はみんな、自分の父、祖父の前で笑って、話して、時々踊ってる。曾孫達は走りまわってる。
 そこにいた彼の子供と孫達の半分以上が、彼の声を聞いた。
 まだ、そこにいるんだね。
 死ぬ時は、仕事に重ならないよう、葬式がお休みの日にできるように死ぬから。
 昔そうそういっていたおじいちゃんを思い出す。
 28日の日に目を覚まして、今は何日だ?って長女のおばさんに聞いたらしい。もしかしたら、死ぬ日を決めようと思っていたのかもしれない。
 子供の日には死なないのね、お父さん。ちゃんと休みをくれたのね。だって、子供の事が好きだったし、一番に考えてくれていたからね。
 末の叔母さんがそう言って、三女と四女の叔母さんが頷いた。
 気が付いたらもう遅くて、部屋から出る事にした。
 斎場にみんな泊まるけど、あたしとみきくんは傍のビジネスホテルに泊まった。みきくんは宿題をするから。あたしは風邪気味だから。
 ホテルでいつもは食べないお菓子を山ほど二人で食べて、テレビを見て笑って、それから寝た。
 明日は告別式か。骨にするのか。
 色々な事を考えていた。
 今回は、ネタになるとか考えなかった。そんな余裕はなかった。
 ただ、あんなにたくさんいると思った身内なのに、なんか少なくなったような気がした。二人死んでるだけなのに。そこにもう一人加わっただけなのに。
 存在感か。
 そう思ったら、クエン酸回路が思い出された。フマル酸とか、リンゴ酸とか、存在感大きいよな。
 そんな事を考えつつ、眠りに入った。
 やっぱり、普通の人と回路が違うのかもしれない。



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