行人徒然

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おじいちゃん、御疲れ様でした。
2004年05月02日(日)

 今日はGWイベント。いつものようにとめさんと京さんと新橋で待ち合わせをして現地へ。まだ眠そうな父さんがパンピーではない娘に協力的なおかげで、重たい荷物を持って無事に待ち合わせ時間に間に合う電車に乗れました。始発の次の電車なんだよね・・・・特急の車両なので好きなんだけど。
 いつも思うんだけど、ゆりかもめの駅って不便だよねー。高いところにあるのは判るし、道を横断しなきゃ行けないのも判るんだけど、いまいちサービスが悪いの。もっとどうにかならなかったのかなぁ。遠いのはさておいて、細切れのエスカレーターにもうんざりだし、ぐるぐる回る通路構成もうんざり。たぶん、造った人は何も考えなかったんだろうな。巨大荷物はさておいて、車椅子の人は絶対に不便だろうし、松葉杖の人も、お年寄も、絶対に大変だ。そう言う人も快適に使用できないような好造で平気な顔をしているところが、いかにも役人の思い上がりって感じで嫌なんだけど、そんなコトを言っても始まらないしね。
 お菓子を買ったりして向かう途中、ちょうど東京SSを越えたところ(ぐるっと回ってる、橋に入る手前のあそこね)で家から電話が入った。とり損ねてしまったし、車内だからと言う事で降りたら電話しようかとも思ったんだが、またすぐに電話が来た。おじいちゃんの事かもしれないので出てみたら、意識不明になったという連絡が。それで、とりあえず呼ばれるかもしれないので、備えておいてくれとの事。備えてって・・・・ここ、橋の上ですよ。しかも家に帰るのか、千葉に行くのかわかんない。とりあえず、展示場前で降りるから、その後もう一度電話するという事にして一度切る。なんだよ、朝から波乱万丈だな。
 展示場前について降りてから、もう一回家に電話すると、まだなにも決まってないのでとりあえずは常に連絡がつく状態にして待っていてくれという。なので、会場は電波が異常状態になっている事をまず伝え、京さんの携帯を教え、電話よりもメールで入れてくれと頼む。京さんと両親の携帯は同社なので、番号だけでメールも届くはずだ。そして、留守電が入ろうと入らなかろうと、11時頃にもう一度連絡するという事に。
 しかし。
 9時前に祖父逝去メール。肉親の誰に看取られるでもなく、意識不明になってから15分の死だった・・・らしい。
 その場で電話したが、家に戻っても何ができるわけでもないし、まだ体も病院から戻ってないし、何も決まってないという事で、結局戻る必要はないという事に。何しろ、葬式は早くても明日から。今いってもジャマになるだけだというのももっともだ。しかし、父さんと母さんは当初の予定通り、医者に行ってからおじいちゃんに会いに行くそうだ。
 本当に、この前風邪を押して会いに行ったのが最後になった。
 なんて悠長に浸る前に、すぐに押し寄せる現実。GWあたりが危ないんじゃないかと思って出していたスーツ。まだ帰ってきてないじゃん。アレがないと、あたし着てく服がないよ。すぐにそれを電話すると、クリーニングやさんに連絡をとってくれるという。もう、どきどき。結局それは明日の朝一番で持ってきてもらえる事になったけど、京さんが自分の法事の後に持ってきてくれるとか、時間が合うかどうかとか、なんかいろいろ心配してくれたけど、どうやら大丈夫なようでよかった。いろいろありがと。ごめんね。
 イベントではいつものように有島さんが顔を出してくれたりして、楽しい時間を過ごす事ができました。終ってから、カサイマキさんとお茶もできたしね。サークル名もPNもジャンルもかえて活動されているけど、ゆっくりお話もできてよかったですよ。変なねーさん達ですまんかったのぉ。
 帰りがけに羊羹を買う。おじいちゃんは羊羹が好きで、この前見舞に行ったとき、羊羹持って来いって言ってたんだもん。
 母さんが今度くる時羊羹持ってこようねっていったら、今度なんて言わずに明日もってらっしゃいって言ってた。だから、羊羹は持っていかなきゃ。母さん、今日は泊りらしいけど、持って行ってないはずだからね。
 とりあえず、おじいちゃんの事は覚悟がある程度で着ていたので、明日はそれなりに落ち着いていけそうだ。スーツも間に合いそう出し、そう言う意味ではよかったなーと思う。朝早いので、さっさと寝よう。明日と明後日は、ちょっと忙しそうだし。



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