行人徒然

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暑かったのだよ
2004年05月04日(火)

 朝8時半にホテルの下で待ち合わせをして、父さんの車で斎場へ向かう。結局昨夜も今朝も、食事の買出しは父さんと横浜・鎌倉の叔母さんや幸手の叔母さんがしたそうだ。父さんはドライバーって事だ。母さんは・・・他の叔母さんたちのマッサージとかね。
 斎場につくと、控え室泊まりの方々はもうほとんど仕度が終っていた。あたし達も終ってたけどね。
 それから9時にまた昨日の坊さんが来て、お経を上げて、またお焼香で、また老人会の会長夫婦が来てくれて、二人を残して火葬場へ行く。
 火葬場に行く前に、おじいちゃんに『旅立ち』の衣装を着せた。白装束じゃなくて、おばあちゃん手縫いの羽織袴だ。それから、衣装と、紙に包んだ仁丹。
 最後に花を入れる。このときにおじいちゃんに触ったけど、すごく冷たくて、指先がしびれた。この痺れは一日中残った。きっと、おじいちゃんを思い出す時、この痺れは何時も指先に返って来るのだろう。
 火葬場まではそんなに遠くないはずなのに、市内を激しくぐるぐる回って30分以上かかっていく。多分住んでいた町にお別れを告げるとか、そう言う意味もあるんだろうが、とにかく30分はちょっとかかりすぎだと思うよ。焼くぞっって入れてた気合が抜けてしまう・・・って、お前が焼くんじゃないけどな。
 三億円ものお金をかけて改造された霊柩車。霊柩車というのはそれくらいあの装飾に金がかかってるらしい。そんなもんに乗れるのは、本当に一生に一度なんだね。その三億円に連れられていくマイクロバスの黒装束。市内をグルグル。まるで市内引き回しの様だ。
 喪主じゃないけど、宮代の従兄は一応族長になっている・・・が、すでに長兄の叔父は亡く、祖父母も千葉の長女夫婦に厄介になっているから、族長の仕事は全てこの、長女の旦那(義理の長兄)がやっている。族長代理みたいなもんだが、昔書いていた武神の話のように、全てはこの叔父が取仕切っている。
 今回も祖父が喪主だったが、長女夫婦が全てを整えた。もっとも、30台半ばの従兄、ましてや一緒に住んでいた訳でもない彼にそれをさせるのは鬼というものだ。ちょっと頼りない感じのする、でも優しくて物知りの従兄。その娘がなっちゃん。
 飾りと化しても族長は族長なので、なっちゃんの相手をする人がいない。すでに従兄は離婚しているので(しかし、元妻との仲はいいらしい)、子供のいない姉夫婦がよく相手をしているのだが、今日はGW。海外に旅行に行っていてつかまらない。だから、そばに呼んであげた。
 なっちゃんは今年小学校3年か4年のはず。最初はおどおどしたりしてたけど、会ったのは初めてじゃないんだよ。叔父夫婦の、なっちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんのお葬式のとき、パパも「もう一人のパパとママ」も忙しくて、その時も一緒にお話したんだよね。あの時、なっちゃんはまだ幼稚園だったけど。
 なっちゃん、動物が好きらしい。今度、一緒に動物園でも行くかね・・・・
 焼き場に着いて、最後のお別れって言うので、また焼香。う〜ん、焼香が多すぎる。昔はそれで良かったと思うけど、今はそんなにいらないよ。だって、腐んないから。あんなに冷たい。見えないところでドライアイスで冷すって言うし。臭くもなかったし。なんか、最近じゃ防腐処理をするところもあるらしいし。おいおい、ミイラかよ。
 一番最後に焼香をした。そして、おじいちゃんに行ってらっしゃいと声をかけた。これから死出の旅に出るから・・・ではなくて、それはよくわかんないけど、違う場所に出かけるからという感じだったのかも。一応仏教で送ってるから、釈迦の国へ『いってらっしゃい』なのかも知れない。
 食事の時、長従兄が昔のビデオを見ない?と聞く。ずっと前、まだ叔父さんが生きていたころ。みんなでしょっちゅう旅行に行ってて、長兄叔父さんと従兄とあたしはそのカメラを回してた。あたしが回すのは、たんに珍しかったからと、興味があったから。
 食事をとって、骨を拾いに行くと、なんて事はない。すごく暑いんだね、当たり前だけど。余熱ってやつなんだろうけどさ。骨もめちゃくちゃ大量で、40歳くらいの骨の残りかただとか言う。おいおい、確かにおじいちゃん若かったけど、96で40歳の骨って言うのもすごすぎだ。いっぱい残ってるので、三回も拾ってみた。
 頭蓋骨のてっぺんが黒いので、ははん、あれがシャンプーの残りカスに違いないとか思ってたら、そうじゃなくて一緒に燃したもの(黒い袴だと思う)の染色が移ったり、化学反応を起こしたりした結果(まさか仁丹か??)なんだとか。よくある話らしい。
 長女夫婦の家に戻ると、長従兄がビデオの調節をしていた。そう、この従兄は勝手に人の家のものでも自分の家のように使ってしまうのに、憎めないところがある。むしろ、みんなそうされているのを望んでいるかのように。彼の父親もそうであったように。
 15年以上前のビデオ。もう見る事のできない叔父と叔母と祖父が笑い、歌い、踊り、カメラに話しかける。まだ小さい従兄弟達と従姉妹達。当時の流行最先端の、今見るととてつもなく野暮ったい服装の叔母達。そして、髪の毛がふさふさの、若さ溢れる叔父達(笑)。
 大人達が宴会場で歌って踊って乱れまくっている頃。こっそりカメラを持った子供達は旅館の中を大冒険。そう、これはいつものパターン。ボイラー室だろうと、調理室だろうと、立入禁止の文字がなければどこでも開けて覗いてフィルムに収める。飽きれば部屋に帰って布団を出しまっくって、枕を投げまくって子供達だって乱れまくりだ。
 なんて事だ・・・・
 大人達は絶句しながら笑う。
 子供だけの時間がこんなになってるとは想像もしてなかったよ。
 そうかい?普通だよ。少なくてもあたし達にとってはね。
 そんな事を言っていると、末の叔母がそっと涙をぬぐった。
 何で泣いてるの?
 娘の言葉に、叔母は言う。
 だって、もう、兄ちゃんも、父さんも、義姉さんも、みんないないんだよ。どこかから、あの時の父さん、ぽっとでてこないかしら。
 でてこないよ。
 それじゃホラー映画だよ。
 そう思ったけど、誰もがそう思ってるんだろうと思って黙ってた。
 ビデオなんていつ見るんだろうって思ってたけど、こういうときに見るためにあるのかもしれない。



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