行人徒然

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桜の君
2002年03月28日(木)

 この季節になると、いつも決まった夢を見る。どう言うわけかわからないけど、毎年一回だけ、桜が散り始めた頃にその夢の見るのだ。
 自分の背丈の倍もない高さの滝。岩の色は茶色がかっていて、水量はちょっと多いような気がする。雪解け水が混ざっているのだろうか。滝壷自体もそんなに広くないし、深くもないような気がする。
 その滝の周辺は見事な桜林で、飛沫がかかるかどうかのところにその人が立っている。
 大体、そこに歩いている途中から夢は始まるのだけど、それは約束事の様にいつも行けばそこに『彼』がいるのだ。
 『彼』の名前は知らない。わかることといえば裃に大小をさした若い武士と言う事くらい。前立ち髪なので、きっと元服前だろう。
 見た感じは十代後半に見えるが、当時の習慣から考えればすでに元服していもおかしくはないころだ。柴田勝家公の小姓のように、その姿を惜しまれて元服を許されていないのだろうか。
 いつも綺麗な水色の裃姿は、初めて見た時びっくりするほど綺麗に見えた。少しざらざらしたような、それでも艶やかに見える布は、いったいなんで織られているのだろう。
 少し細く書かれた眉。鼻筋は通っているけど少し幅がない。目は気持ち釣り上がっているものの一重か奥二重で、唇の色は少し赤い。頬もほんのり色ついているが、それは紅をさしているせいだと後から知った。
 顎のあたりは少しぽってりしている。当時で言えばかなりの『美少年』というところだろう。少し神経質そうな声で話す。
 初めて『彼』にあったのは、小学生もまだ低学年くらいだったと思う。あまりよく覚えていないけど、『彼』はその頃からちっとも歳をとっていない。
「久方振りだが、如何御過ごしか」
 『彼』は自分の姿を認めると、一礼してまず最初にそう言う。次回こそはこっちから挨拶をしてやろう。こっちが早紀に『彼』を待っていよう。そう思っていても、桜の下を抜けるといつも『彼』の方が先にいる。
 『彼』を知りたくて、あたしは日本史の世界に入っていった。だから高校でも、大学でも迷わずに『日本史』を専攻したし、仲でも『彼』がいそうな戦国時代や安土桃山時代、少しおして江戸時代をおもに学ぼうとした。
 その途中で、織田信長という人にあったのはあたしの人生を変えるいいきっかけになったろう。だが、『彼』は信長公でもない。



 夢の中とはいえ、『彼』と過ごしている時間は緩やかで落ち着いた、気持ちのいい時間だ。その人柄のせいなのだろうか。あまり何も言わない『彼』。あたしも何も言わない。
 昨夜。『彼』はささやかな酒宴の支度をしていた。野点のような用意をして、そこに茶のかわりに酒が置いてある。
 あたし達は、並んで茣蓙に座り、滝の音と桜の花びらを楽しんでいた。
 不意に小さく息を飲む音が聞こえて、あたしが『彼』を見ると、視線の合った『彼』は子供の様に得意げに微笑んで言った。
「真の桜酒とは?」
 差し出した『彼』の杯には、一枚の花弁。



 そこで夢は醒めた。



 あたしは共に裃を着ている事はない。時々振袖のようなものを着ていることもあるが、大体にして今と同じような服を着ている。小さな頃は、なぜか浴衣だった。
 この夢があたしに何を伝えたいのかはわからない。それでも、あたしは毎年この季節になると『彼』に会うことを楽しみにしている。
 夢見がちに言うなら『桜の君』というのだろうか。
 来年、再び会いたいと、また思う。



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