思い起こしてみれば、春というのはいつも精神的にイかれたたような記憶がある。去年はGWのあたりだったような気がするけど、ちょっとしたトラブル?で拒食症のような感じになってたし。 暖かくなってきて、桜の花が咲いて、あたしは鬱になって、頭がおかしくなって、夏になるのだろう。恒例行事なのかと思えば気も楽だけど、これ以上迷惑もあまりないだろう。 ここのところ寒い。今年も花冷えかよ・・・という気分。花冷えと言う事場は去年知った。とても綺麗だと思って、それから好きな言葉の一つになった。 花冷えと言う言葉を聞くと、綺麗に咲いた桜の花が、枝についたまま氷に包まれている様を連想させる。それはそのままの桜そのものでもあり、冬(=氷)に閉じ込められた春(=桜)でもあり、凍り付いて時間の止まった春でもあるような気がする。冷たい氷の中で、暖かな季節を閉じ込めた桜の花は、いったい何を考えているのだろう。 昨日だったか一昨日だったか、辻元議員・・・っだっけ?の15分くらいの会見をVTRで流しているのを見た。もうすっかり彼女は自分で「悪い事をしている」とわかっていると思うんだけど、自覚していると思うんだけど、入って来てたくさんのフラッシュを浴びた彼女は嬉しそうに笑って「わぁ・・・っ」と言った。 それは誕生日に買ってきてもらったケーキの箱や、思いがけなくもらった嬉しいプレゼントの包みを空けた瞬間の、子供の喜びの表情によく似ていた。と言う事は、彼女はフラッシュを浴び、たくさんのカメラに晒された事は、期待と驚き、少しの意外さに満ちた、嬉しい事だったのだろうか。 つまりこれは彼女の幼児性を物語っているとあたしは推測しているんだけど、実態はどうなんだろう。どっちにせよ、なんか話を聞いてると、あの人を思い出すんだよね。え・・・と。なんとかマスミ。毒入りカレーの犯人。 つまりさ、目立ちたいんだよ。回りに騒がれると嬉しくなっちゃう人。持ち上げられると得意になっちゃう人。いや、あたしもそうなんだけど。 どっちにせよ、子供なんだよ。一歩後ろから誰かの力になるなんて、とってもじゃないけど考えられないんだよね。支えられたい人。支えるなんてとんでもないと思ってる人。誰も支持なんてしないけど、みんなには支持してほしい人。 ついでに、政治的な知識も少なかったらしいじゃない? 要はさ、そう言う人を支持してしまう人たちにも責任はあると思うんだけど、それにしても日本のマスコミは駄目だね。叩くだけ叩いておいて、それでおしまい。こっちも子供と一緒。 遊んだら遊びっぱなし。片付けなんかしない。料理なら、出されて食べて、はいお終い。作るところも片付けるところもどうでもいいんだ。 だから、今回だって騒いでそれでお終いになるだろう。どうしてそう言う事が出きたのか。それを防ぐにはどんな事ができるのか。そもそも秘書はそんなにたくさんいるのだろうか。そう言う事を論議するのは、NHKで一回こっきりやって終わってしまうに違いない。もしかすると、民放でもするだろうがそれも23時ごろからだろう。 国民の政治への意識も低い。それで文句だけ言ってるんだからレベルはやっぱり子供だよね。ちなみにこの前埼玉県戸田市であった市長選挙の投票立は30%強だったそうだ。市長でさえどうでもいいんだから、それよりでかい国レベルなんて、もう何だかわかんなくってそれこそ本当に「どーでもいいっす」なんだろう。 こういう国民性のところは、はっきり入って今の政治体制はあわないだろう。共和制でせいぜいかもしれない。長い事君主制だったのだから、100年そこそこで変えろというのも難しいかもしれないが、半分の50年だってアンタ、生まれた子供が大人になってるんですよ?もっと民主制が理解されててもいいと思うんですよね。 『俺達の気持ちが、絶対に国を変えるんだ!』っていう、そう言う気持ちを理解してないのかな?やるだけ無駄だしぃ〜って思ってるんだったら、悪いけど君主制だって一緒じゃん。形だけ民主制でも意味ないね。 いくら日本人は『形』から入るって言ってもねェ・・・ とりあえず、今日はおしまい。
|