行人徒然

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箪笥と写真
2001年09月03日(月)

 先週、箪笥を捨てた。自分が生まれたとき、両親が買ってくれた子供用の箪笥で、もうすっかり色があせていた。写真を見れば、綺麗なクリーム色だったことがわかるけど、今は何がなんだかわからない、かつて黄色っぽかったのかな?とかろうじて思わせる花柄の残像がついているだけ。
 五段の引き出し。その上には、子供用箪笥によくある飾り棚が合った。この棚の下には小さな引出しが二つ、向かって左側には引き扉のついたボックス状の物入れがある。飾り棚にはガラスが入っていて、これは今まで割れたこともひびが入ったこともないという、各務家的に、特にあたしが使っているものとしては非常に珍しいほど長持ちしたガラスだ。
 左右の白い羽目板には、つたい歩きができるようになった頃からの落書きが残っている。とにかく、当時の自分は落書きが大好きだったので(記憶が残っている)床、ふすま、テーブル、壁。幼稚園に入っても、それは今住んでいる家に引っ越す小学校一年の夏休み前まで、ずっと子供の手の届く範囲には模造紙が家中に貼ってあった。そこには何を書いてもよく、クレヨン、色鉛筆、水性ペン。なんでも使って、背伸びして、ジャンプまでして落書きした物だ。
 油性ペンだけは、下に染み込むので使用禁止。紙が貼ってないテーブル、箪笥、床は書いてはいけない。かわりに紙が貼ってさえあれば、床だろうと窓だろうと、父親の背中だろうと落書きしていいことになっていた。
 子供の落書きって言うのは、親にとって頭の痛い問題だろうけど、それをこういうふうに可能な限り許してくれた両親は、なんてすばらしいんだろうと自分は思っている。当時遊びにいったどの親戚の家にも、友達の家にも、こんなふうに子供の落書きを容認していた家はない。それは今まで生きていた上でも同じ事で、あんな風に家中にも増資や広告の裏を貼りつけた家にはお目にかかったことはない。
 当時、家の中でとった写真には、落書きだらけの紙が貼ってある部屋の中で父親に抱かれて笑っている自分の写真が何枚もある。
 確かに、あんな風に部屋中を落書き帖にされては家全体が乱雑な雰囲気になってしまう。ごちゃごちゃした感じで、どんなに部屋を整頓しても散らかった印象がぬぐえない。でも、もしも自分が誰かの子供を運で育てるとしたら・・・・きっと自分はやっぱり部屋中を同じように落書き帖にする。マッキーの歌詞じゃないけど、『まだ見ぬ君』はそれを許してくれるかな?
 箪笥に残っているクレヨンの落書き・・・それは、そのルールができあがる前の物だろう。円を中心にした線だけで構成された落書き。多分幼稚園に上がる前の物だろう。

 捨てた箪笥。
 いっしょに小さな自分の思い出も捨てたのかな?




 引き扉のボックスの中に入っているのは、昔から母親の物。捨てる前に出したそこからは、昔母が習っていたちぎり絵の色紙とか、墨絵の色紙とか、お坊さんに書いていただいた言葉のある色紙とか、とにかく色紙がいっぱい入っていた。
 それから、未分類の写真。
 記憶のある物から無い物まで。
 叔母の結婚式に出ている自分がいた。
 当時1歳くらいらしい。ピンクのレース編みのドレスを着たその赤ん坊は丸々太っていて、子供用の椅子におとなしく座っていたそうだ。花嫁の次に人気があったそうで、式の最中一回も泣き出さず、大声も出さず、珍しそうに新郎新婦を眺めながらにこにこしていて、本当に『おとなしくいい子』だったとか。
 ピンクのそのドレスは母親の手編みで、子供に手編みの服を着せたいと言う夢をかなえた母の自信作だったらしい。花嫁のドレスの次に綺麗と言われて鼻高々だったとか。
 で、その写真。
 誰がとったのかわからないが、小さな両手に小さな・・・・なんだろう?・・・・を持って、カメラに笑いかけている自分。言ってはなんだが、丸々と可愛らしい。目がでかい。この目に、結婚式はどんなふうに映ってたんだろう。
 隣に、そんな自分を心持心配そうに見ている父がいる。結婚したのは父の末妹だ。だからいっしょに写っているんだろうか。それとも母が撮ったのだろうか。
 その父の年齢・・・・言いたくないけど、自分と同じ歳。自分は両親が結婚して4年目の子供だと聞いている。
 当時の結婚は早いと聞いているが、それでも自分より4歳若く結婚し、自分と同じ歳にはすでに家庭を築いていた父。

 同じ年齢の違い。


 自分は、まだその相手さえいないと言うのに・・・・・


 何か、考えなければいけない歳になったのかもしれない。



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