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きゅっ。
by きゅっ。
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■オリンピック放送の電波は公共財
昨日の夕方にまた微熱が出ていたんだけど、朝になると下がっていた。相変わらず、じんまんしんは出たり消えたり。

前回は私的費用と社会費用の乖離、市場の失敗の一例として外部性の存在とかの話だった。ミクロ経済学の基礎理論って、本当に簡単な理屈の積み重ねなんだけど、現実の経済を理解するときに、ハッとした気づきを与えてくれる。ある事象に対して、なんでそうなるのか、それは正しいことなのかどうか、問題を解決するにはどう対処すべきなのか、といったことを考えるときのヒントには確実になる。

これに対して、俺が大学生のときに学んだ法学っていうのは、トラブルの解決手段ではあるんだけど、それは規範の解釈をどうするか、ということがベースになっている。既に制定されている民法なり刑法なりに当てはめてみて、この事例はどうあるべきかを考える学問だといえる。

経済学もモデルに事象を当てはめるという点では、法令に事象を当てはめる法学と同じような気もするんだけど、経済門外漢の俺が思うに、自由度が違うような気がする。法令の解釈はある程度制限があって結論はどんな説に立とうとそんなに大きな違いは出ないようになっている。だって、裁判官の趣味で判決が大きく変わってしまったら、法治国家は成り立たないからね。だけど、経済学は、モデルをある程度自由に設定できるし、同じ結果を求められなくても良い。任意性が違うんだな。一括りにされてしまう社会科学という範疇でもかなりの違いがあるもんだ。

で、大学時代あまり勉強しなかった言い訳じゃないんだけど、経済学を勉強していて俺が思ったのは、法学より経済学のほうが俺にフィットしているということ。面白いんだもん。経済学部に進学すべきだったのかなーと最近思っている。まあ、遠い遠い昔の話なので、そろそろ本題に戻ろう。

外部性の存在は市場の失敗の一例だということだった。このほか、市場の失敗の例としては、公共財っていうのもあるんだ。

たとえば、一個のアイスクリームは誰かが食べてしまえば、他の人は食べることができないよね。これに対して、テレビやラジオの電波は、誰かがどこで受信しようと、他の人が利用できなくなるわけじゃない。道路も似たようなもんで、誰かが通ったらすぐに壊れて使えなくなるというもんじゃない。たくさんの人が同時に使えるよね。このように、公共財には、誰かが消費をしていても他の人も同時に消費できるという性質がある。そして、この性質のことを非競合性というんだ。

それから、代価を支払わない人たちの消費を排除するための費用が非常に高くついてしまう。高速道路はただ乗りはもちろん許していないけど、それを排除するために、相当の費用を支出しているよね。一般道路だったら普通は通行を排除することには多くの費用が必要となってしまう。たとえば、サミットのときの警備とか、マラソン大会のときの車両規制とかを考えてみれば分かると思う。こんな公共財の性質のことを非排除性というんだ。

で、こんな非競合性と非排除性を持つ公共財というのは、市場ではうまく供給されないんだ。たとえば、テレビの電波にお金を消費者に出してもらって買ってもらおうとしても、消費者はタダで見れる環境があれば、普通は、わざわざお金は支払わないでしょ(ただし、電波にお金を出して買ってもらうというスカパーのような市場も、現代では成り立っているけどね。)。それは、他の人が電波を利用しているからといって、他の人の利用を妨げることができないという公共財の非競合性の性質があるからなんだ。その結果(?)、NHKの受信料を払いたくない人たちは、俺はNHKは見ないんだ!みたいな理屈を掲げて受信料を納めなかったりするんだね。非競合性を排除するためにデコーダーをつけるとか、スポンサーのコマーシャルをつけるとか、公共放送だったら受信料で賄うとか、という現在の放送形態ができているのは、こういう理由からなんだね。

…ちょっと頭痛がしてきた。ヘモグロビンが下がっているのかも。赤の輸血が必要か?

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08月08日(金)
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