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きゅっ。
by きゅっ。
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■北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離
こんなふうに、ある経済主体の行動の結果が、市場での取引を通してでなく、直接に他の経済主体に影響を及ぼすことがある。こういうのを、一般に、外部性が存在するっていう。

川へ廃棄物をたれ流すと、魚を採って生計を立てていた人に外部効果を及ぼしてしまうでしょ。他の経済主体に望ましくない影響を及ぼすとき外部不経済というんだ(他の経済主体に望ましい影響を及ぼすときは外部経済。例としては、借景とかただ乗りっていうことになるんだけど、これは後で気が向いたら説明する。)。外部性があると、市場が競争的であったとしても、そこで決定された生産量は必ずしも望ましくならないんだ。

ま、そんなことで、外部性の存在ということも市場の失敗(市場がうまく機能せずに適切な財の生産が行われないこと。)のひとつに数えられるわけだ。

2004年08月11日(水) 原発事故に思う。

 『・・・だから、原発はダメなんだ。』とか、『自然エネルギーの開発を急がなければならない。』とか、そういった飛躍的発想を言う前に、個々のプロセスをまず点検すべきなのだ。当たり前のことだが、太陽光発電施設設置や風力発電開発のためのエネルギー総量は、そこから調達されるエネルギー総量をどうしても上回ってしまう。現時点で、人間の作りえたエネルギー抽出装置なんて、原発を含めて大したことない。

 大きく捉えれば、『何故、日本の電力供給の枠組みに原発を含めなければいけないのか。』くらいの議論も可能なのだろうが、如何せん、エネルギー大量消費構造を改革できるとは思えず、供給側のコスト減に期待するのみが現状だ。

 ところが、社会的効用と私的効用が乖離するサービスにはコストがかかる。そのコストを削減しようとするから錆が出る。結局、電力の調達手段変更は、公営企業がやるより他ないのだ。電力民活実施から久しいのに、電力会社の寡占供給形態が変わっていないことを考えてみればすぐわかることだ。

 だから尚更、電力会社には、企業倫理が問われるのだ。

もう立秋だよー。

病室で妄想する経済理論(目次)
1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義

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08月07日(木)
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