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きゅっ。
by きゅっ。
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■ご飯の美味しさと価格統制
アマゾンのマーケットプレイスでは、入門価格理論(倉沢資成)や入門マクロ経済学(中谷厳)が1円で売られている。マーケットプレイスは送料340円がプラスされるから、これらの本は341円で読めるってわけだ。元々は3000円くらいする本なのに。いやー、図書館行って本を探す手間暇考えると、完全にアマゾンの圧勝だな。今の学生は恵まれているね。

それから、入門マクロ経済学(中谷厳)は、もう第5版になっているんだということも発見した。ま、そりゃそうだよな。俺の手元にある入門マクロ経済学第2版は、1987年の本だから。それから20年あまり経っているんだから、第5版にもなるわけだ。

それに対して、入門価格理論の方は第2版の後、改訂版はないようだ。現実の経済分析に近いマクロ経済学とモデルをシンプルに考えるミクロ経済学の性格の違いなのかな。ミクロ経済学は自然科学の基礎理論のように積み木を一個一個積み重ねたかのような学問だから。

ところで、いまだに微熱続きでじんましん続きだ。今日は、皮膚科の先生に診てもらった。ジンマシンだろうということだけど、原因に心当たりはない。ポツポツ出ては1時間くらいで消えていく。なんとも気まぐれなヤツだ。

さて、前回、社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうかということを考えてみたいと思う。

米は食糧管理制度のもと、市場介入がされてきたということは、日本人なら知っていると思う。なんといっても、主食のお米のことだから。

食糧管理制度では、転作奨励金や生産者米価の設定などの政策によって、農家を保護してきたわけなんだけど、これは、同時に消費者余剰を減少させてきてもいたんだ。

これは、どういうことかというと、生産者米価によって、本来の完全競争市場下での均衡価格より上に価格が規制されて、その結果、超過供給が存在してしまうのを転作で打ち消そうとしてきた政策なんだ。目的としては、国内農家の保護、食糧自給の確保といった食糧安全保障対策的な意味合いもあるんだけど、もっぱらお米を食べるのみの消費者からすると不満足な結果になる。高い価格でお米を買わなくてはならなくなるから、均衡価格のときに比べて消費者余剰の三角形が小っちゃくなっちゃうんだ。

一方、生産者余剰は、本来の均衡価格のときより三角形は大きくなる。農家の保護になっているといえる。

そして、社会的余剰は、消費者余剰+生産者余剰で、完全競争市場下と比べ、一見所得配分が変わっただけに思えるんだけど、実は、そうじゃない。まず、消費者が政府価格で買うお米の量は均衡価格のときに比べて少なくなる。高い価格になるんだから代替財に流れてしまうよね。一方、生産者が作ろうとするお米の量は均衡価格のときに比べてどうしても増えてしまう(ま、だから減反政策が必要になったんだけど、ここでは割愛。)。

そうすると、米が売れ残ってしまい、倉庫にたくさん余剰備蓄がたまってしまうことになる。その分のお金は誰が出しているの?ってことを考えると、政府が支払っているわけであり、税金なわけだよ、あなた。

だから、最終的な社会的余剰を考えると、消費者余剰+生産者余剰-政府支出っていうことになり、完全競争市場のときよりも社会的余剰は萎んでしまうことになるんだね。

一応断っておくけど、だから食糧管理制度が悪いんだ!政府が悪いんだ…みたいなシロウト臭いことは思っていないよ。先に述べたように、、国内農家の保護、食糧自給の確保といった食糧安全保障対策的な意味合いから、日本の置かれている国際的立場を考えれば、誤った政策だったと断言することは俺にはできないから。政府や自治体の政策になんでも反対するっていう馬鹿や阿呆がいるけど、その政策の意味、中身を経済学だけじゃなくて、社会学や政治学などいろんなツールで分析してから喋ろ!って言いたいね。

ま、というわけで、ミクロ経済学のシンプルなモデルを使ってみると、食糧管理制度は失敗なモデルだったといえるわけだね。

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08月06日(水)
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