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今日の私
by かずき
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■『プロデューサーズ』(日本版)
この場面でいじってこないはずはないと思うんだけど、
ネタが拾い切れない自分が苛立たしいです。

あと、すごく好きだったのはアンサンブルさんたち。
「春の日のヒットラー」や「愛の囚人」は勿論だけれど、
1幕最後「さあ、金を集めるぞ!」ってマックスが出かけた先の
お揃いの おばあ様方の歩行器タップ、最高、楽しかったな〜。
歩行器の足を、見事に揃えてジャッジャッと踏み(?)鳴らして、
音質や音の大きさが、下手なタップよりも音声的な快感になる。
ブランコは『コンタクト』思い出したけれど、考えすぎ?

メインキャストは概ね良かったけれど、
最大に気に入らなかったのはフランツ。アクも存在感もない!
世界中から叩きまくられている人を尊敬してやまなくて、
誰にも語ることはできないから、鳩だけを友としているけど、
だからこそ、いざ語れるとなったら強引で止まらないのよね?
何か、この時期にNYでナチス信奉者として暮らすことの
鬱屈した気持ちみたいなものが一切感じられなくって、
ただの、ちょっと気弱だけど、明るくて鳩好きの
気のいいおじさんみたいに見えてしまった。
この舞台の毒を薄めた最大の原因のような気がします。

最後になりましたが、主役の2人について。
長野レオは、長野君でした。いや、私は、タレントとしての
「V6の長野博」は、実はほとんど知らないのですが、
きっとこれはタレントとしてのキャラなんだろうなと感じたり、
ファンに迎合するような部分が散見されたのが、とにかく嫌で。
長野レオは、小動物のような「かわいいー(*^^*)」キャラ。
最初っから最後まで、ほとんど変わらずそれだけで通した。

本来のレオはきっと、いい年して、ライナス毛布が手放せない
という場面で「かーわいーいー」と思わせるわけはないと思う。
それは病的傾向の一種で、その毛布を手放せるように
なることが、肯定的な大きな意味があるんじゃないの?
毛布と共にあることを肯定的に見られちゃいかんだろ?
まあ、毒のない笑い主体の舞台ならいいのかもしれないけど、
ミュージカルと考えた時、歌声もあまりに小さすぎたし、
彼の舞台は2本目だけど、もう当分観なくていいかなぁ。

逆に井ノ原マックスは、ちょっと意外でした。
少なくとも、しゃがれた感じに作った声と妙な自信に満ちた
胡散臭い雰囲気は、アイドルでは有り得ないはずのもの。
その、裏も表も見てきたような雰囲気は、結構、長野君と、
年齢差10歳ぐらいはあるように見えたかも。すごいぞ。
相当な早口もあって、台詞が聞き取りにくいのは難だし、
声量はあったけど、歌詞も長野君以上に聞き取れなかった。
ただ、松金さん達おばあちゃんsがお金を払いたくなるような
生きることに対して前向きな旺盛なパワーがあって、
なかなかいい感じじゃん、という印象で1幕を観ていまして。

2幕の♪「裏切られた!(BETRAYED!)」で、驚きました。
センターに作られた檻の中、ただ1人で、結構 長いソロ。
彼の立場から見たこれまでのあらすじと、今の心境を、
ひーたーすーらー語ってくれるという、とんでもない曲。
彼、きちんと「見せ場」にしていました。飽きさせることなく。
ドラマを歌い上げる表現力はしっかりあると見た。実際、私、
笑ったり眉に唾つけたり苦笑したり、すごく盛り上がったもん。
まだまだだけど、歌で演技できるというのは、私にとっては
一番大きなミュージカル役者としての素養なので、
そこらの単なる芸大卒よりずっと今後への期待大かも。

そんなに期待せずに行ったのにしっかり楽しんで、
エンディングの♪「Goodbye」では、♪お帰りはあちら、とか
♪早く帰れ〜!とか歌われて、はいはいお疲れ様でした〜と、
彼らに感謝しつつ、笑顔で劇場を後にできたりしちゃって。
本来の毒は相当薄められてるんだろうという印象だったけれど、
まあその分、真正面から素直に楽しませていただきました。
♪「Goodbye」は、玉野さんのショーの最後によく使われていて、
はーい、有難う、楽しかったよ〜!って帰る気分になるけれど、

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08月24日(水)
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