ID:6349
たむけん日記
by たむけん
[170103hit]
■台湾訪問記 3日目
午前はまず中国国民党へ。総統府のビル(日本統治時代からの建物)と広場をはさんで向かい合った立派なビル。近日中に売却されるとのこと。政権交代で野党に転落したためだろう。青年部の事務局長(女性・元市議会議員・30才前後?)と面談。日本の自民党と同じく、全国に青年部が組織化され、ボランティアを中心とした活動が続けられている。
民主党には青年局というものがあり、泉健太議員が局長。私と田名部氏は次長。今回の訪台も、もとは、台湾政府から民主党青年局にご招待があったのだが、民主党本部から「党の組織が公式に訪問するのはいかがなものか」と言われ、青年局として訪台という形ではなくなった。
民主党青年局は、泉局長以下、次長(国会議員)が8名、党本部職員が3名ほどいるが、地方には組織がまったくない。民主党がまだ結党して8年目である上、泉議員が局長に就任した昨年9月まで数年間、活動休止状態にあった。泉局長の尽力で、国会での活動(学生インターン受入や渋谷街宣活動など)は活発になってきたが、地方組織の立ち上げはこれからの大きな課題だ。
私も、地元のボランティア活動などで、何度か自民党青年部の方々とご一緒したことがあるが、私の地元はもちろん、全国で民主党青年局所属の若者が活動している、というようにするのは、党としても大きな目標。
国民党に続いて民進党へ。
ちょっと台湾の歴史を振り返ってみると、日清戦争終結後1895年から第2次大戦終結の1945年まで50年間、日本の統治下にあった。それから87年に戒厳令が解除されるまでの40年あまり、国民党の一党独裁体制。民主化が進んでからまだ20年足らずだが、2000年には政権交代が実現し、今まで民進党政権が続いている。
国民党の立派なビルと対称的に、民進党はビルの数フロアを賃貸している。民主党(小さなペンタックス・ビルの4フロア)よりはマシな程度。
民主党は、民進党が野党時代から、互いに政権を目指す同士、交流があった。そのため、民進党幹事長(議員ではなく党職員)が面談に応じてくれた。4年前に、アジアのリベラル政党が集まって開催された政党シンポジウムを再び開催しようという提案のほか、2008年の次期総選挙で中選挙区制から小選挙区制になるので、日本の小選挙区制について学びたい(資金的に視察が無理なら講師を呼ぶ)との要望があった。昨年、民進党議員数名が日本を訪れた際には自民党青年部が群馬に泊りがけで歓待してくれたとのこと。
民主党も負けてはいけない。というよりも、民進党との古くからの付き合いを大事にし、依然野党である民主党が与党となった民進党と交流を深めるには、相当の努力をしなければと痛感。
民進党の若手議員3名と昼食。台北市選出の女性議員(30代)は、日本語を習い始めてまだ2年というのに相当のレベル。秋の台北市議選に向けて、候補者とともに自転車で挨拶回りをしているとのこと。都会の若手議員が自転車で走り回るのは日本も台湾も同じだ。高雄市選出の議員(40代)から、次回、ぜひ高雄にも来てほしいと嬉しいお誘い。
台北101(アジアで一番高いビル)の展望室へ。今回の訪台日程で観光と言えるのは、これと明日の228記念館だけ。TAIPEI101を建築したのは日本のゼネコン。世界最速のエレベーターは東芝製。曇りの天気のため、遠くまで見渡すことはできなかったが、台北を一望できた。
台北101のすぐ横には市役所があり、その周辺も綺麗に整備されている。日本の都市整備が、私権(個々人の土地所有権)を優先するあまり、道路は狭く、ビルや住居が雑然と並んでいるのとは対称的だ。
行政院大陸委員会の委員と面談。WHO(世界保健機構)への加盟支援を要請された。台湾は、サーズなどの教訓をしっかりと活かし、鳥インフルエンザが発生していないアジア唯一の国であるのに、WHOの加盟さえ中国が妨害すると嘆いていた。
[5]続きを読む
05月03日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る