ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7115,閑話小題 〜失うものは何もない ―3
   * <ああ、面白かった!良かった!>
「老いるということは… 失うものが何もない状態になること」と、自覚
出来る時節になった。 <行けー>は「三途の川」であり、その先の宝の山は
「永遠の無」になる。何のことはない、生前に無に戻るだけ! 現世も永遠の中
のチリそのもの。ただし濃厚か否か? 現世に残っている錯覚も妄想でしかない。
哲学も、宗教も、それを教えている。…大部分が、気づかずプツン!
 般若心経が、まさに、それを透かすように解明している。失うものは、元もと
何も無い! 要は気づき! <色即是空、空即是色>である。
 
 <ああ、面白かった!良かった!>と、その時に思えるか否か。
それには、数知れぬほどの感動と、感激体験を浴びるようにしないと!
その蓄積が磁力になって、更なる感動、感激を呼寄せる。何ゆえに、それが
出来ないか…? 日常に埋没するためである。 舟底に日常、常識という牡蠣が
ビッシリと絡み、舟を重くする。それを取さるには、更なる感動・感激体験を
するしかない。私たちにあるのは、<いま、ここ、わたし>の垂直に切り立った
永遠しかない! その積み重ねが、それぞれの自分である。
感動、感激には他者はない!対象と一体になっているからである。 それには、
心を空にして(牡蠣を削ぎ落して)おかないと、何も気づかず通り過ごす!
永遠に通じる真理とは、純で、瞬間しか見えない心の有りよう。
それに触れんとすれば、自ら磨くしかない! 

・・・・・・
6748,読書日記 〜「魂の」思想史 ―3
2019年09月06日(金)
             <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
  * 「万物は数である」 …古代ギリシャのある教団
 何とまあ、この重苦しく、深いテーマを、一つずつ掘下げている。
  〜その概要をまとめると〜
≪ 古今東西、多くの人が夜空を見上げて人や神々の霊魂を想像してきた。
 それまでの古代ギリシャの霊魂感は、『何やらもやもやした決まった形のない
もの』だった。 Bc570年頃;南イタリアに出現したピュタゴラス教団の人々は、
霊魂の不滅、そして輪廻転生から霊魂の解説を唱えた。もやもやした自然状態
に戻すことではなく、全く逆。 <肉体と魂が共存して区別がつかない曖昧な
状態は、魂が肉体の穢れに染まる悪しき事態と認めていた。
 魂の不滅はもはや疑う余地のないことであり、輪廻転生も同じ事態と彼らは
いう。しかし魂が或る肉体の死後に収まってしまうのは、その穢れゆえに望ま
しくなく、解脱が必要と考えた。彼らにとって、魂は肉体の墓場でしか
なく、いわゆる肉体即墓説です。魂の優位を見てとる二元論である。
 この二元論は、プラトンの哲学に合流し、キリスト教に受継がれ、中世の
スコラ哲学に、17世紀のデカルト哲学の基礎と受継がれていく。
しかしニーチェが、この歴史の厚みを意識して、これを履かえそうとする。
 
 ピュタゴラス教団の解く解脱とは、最終的には輪廻転生の移り行きから
魂を救い出すことでした。しかしそれには、常日頃から、魂を肉体の穢れた
発想から浄めておくことが大切と彼らな考えたため。 
 その一つとして「宇宙の音楽」に理性を耳そばだてるという実践があった。
この教団は、宗教だけでなく、数学、音楽、天文学にも探求心を発揮し、
幾つもの発見や教説を残している。「ドレミファソラシド」を発見したのが、
ギリシャのピタゴラスだと。それも、それは音楽というよりも「数学」として
の発見で、まったく関係ないように見える「数字」と「音楽」とが実は密接に
関わりあっているとは驚き。 ≫
                            〜つづく 
・・・・・・
6385,読書日記 〜『無敵のソクラテス』
2018年09月06日(木)
   * 悩むな、考えろ!
 この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。
「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー
が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する

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09月06日(日)
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