ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7017,閑話小題 〜スペイン風邪とは、どんな事態?
   * 100年前のスペイン風邪のオサライ
 スペイン風邪は、第一次世界大戦の最中もあり情報が隠蔽され、錯綜、諸説
あるため、ウヤムヤになっている… そこで、あらため、詳細を調べてみると、
悲惨な状態だった。これからして野球を例にとると、9回戦の一回の表・裏が終了、
2回表になろうしているに過ぎない。これから事業形態がと生活形態が根こそぎ
変わっていく。それに耐ええる能力勝負。
 
   〜ネット検索より〜
≪◉ 人類史で、何度も感染症・パンデミックを経験しています。
古くは2400年前にペロポネソス戦争中のアテネで謎の疫病(天然痘説が有力)
が大流行し、多くの犠牲者が出ました。その後も発疹チフスやペストなどの
流行を経て、100年前にはインフルエンザのパンデミックを経験しています。
この大流行はインフルエンザとしては史上最大のものとなりましたが、その時の
ことが今のコロナウイルスとそっくりだと思ったので今回はそのよもやま話。
  ☆ どんな流行だったか
1918年3月頃から1920年まで全世界で大流行し、当時の世界人口の1/3以上が
感染、数千万人が死亡しました。この時の致死率が2.5%とされています。
スペイン風邪としても有名ですが、実はどこで最初に出現したのかは分かって
いません。当時は第一次世界大戦の最中で、どの国も情報統制が敷かれていた中、
参戦していなかったスペインでの流行が報道されたためにスペイン風邪と呼ばれ
ましたが、実際の流行が確認されたのはアメリカが最初のようです。もともと
季節性のインフルエンザ自体はあったが、この年は流行期を過ぎても患者が
出続けたためにいつもと違うことにみんなが気付き始めます。しかしその頃
には戦争の影響もあって世界的な人の往来があったことから急激に世界中に
広がっていきました。流行の第1波は1918年3月頃から6月まで続きましたが、
夏頃になると自然に収束します。この際は感染率は高かったものの、致死率は
それほどでもなかったようでした。しかし同年9月頃より始まった第2波では肺炎
などを起こして重症化する人が続出し、大量の死亡者が出たということです。
この流行は翌年3月以降の第3波まで続きますが、人類の大部分が感染と共に免疫
を獲得することで自然と流行は収束していったようです。この間、兵員輸送船で
あるリヴァイアサン号の中で大量の感染者が発生、労働者の大量欠勤によりモノ
の生産能力が大幅に低下、収入減による消費の冷え込み、病院への患者の殺到に
加えて医療者が感染することでの医療崩壊、その他各種インフラに携わる労働力が
低下したことにより社会機能が麻痺していくなど「え?それって今年の話してる?」
的な共通点が多く見られます。ちなみにこの時も感染拡大を防ぐために日本を含めて
世界で不要不急の外出を控えるよう通達が出たり、実際に学校や娯楽施設の閉鎖命令
も出ていたようです。ちなみに現在のコロナウイルスは高齢者に重症例が偏っている
のに対して、100年前のインフルエンザは圧倒的に若者が重症化していました。
65歳未満の死亡率は65歳以上と比べて6倍にもなったそうです。 ≫
 ―
▼ 中国、東南アジアからの研修を建前にした格安労働者がストップし現場が
 混乱状態。大量の日本人労働者の失業を含めたトレードオフが、発生する。
ここまでの変動を経験してないため、現実感を持てない状態。スペイン風邪の
5年後に関東大震災が発生している。 …リーマンショックの場合は3年後に、
東北大震災が…、今度も、その重なりを前提に備えをつくっておくべきだ!
1990年頃のバブル崩壊には、ソ連・東欧諸国の体制崩壊が重なり、2001年9・11
テロには、アフガンと、イラク戦争が重なった。今回は何だろう… 交戦的な
アメリカが、このまま黙っている訳がない。 …地政的にみても日本は危ない!

・・・・・・
2019年05月31日(金)
6650,閑話小題
   * 深夜の冴えた時間帯で…
 昨年暮れから、年を越えて10回シリーズで、BSテレ東で放送されたドラマ
『サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻』があった。残念ながら

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05月31日(日)
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