ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6459,読書日記 〜『孤独の発明』
           <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独の発明
 ‘孤独’に関して深く洞察してある内容。20歳に創業を決意して65歳まで、
ある意味で、孤独業をしてきたようだ。 終わってしまえば、
<折角の人生、勿体ないじゃないか!>が半分。
<御蔭で面白可笑しく充実していた!>が半分、あい半ばである。
17年半にわたり書き続けてきた、このブログからして、孤独業である。折角の
人生というフィールドで、ネット上に何か刻印して残したいと続けている。 
独白であり、近未来の自分や、近しい人に語り掛けるように、書いている。
早朝の6時前に完成した一文と、17年の生々しい過去文を鳥瞰しながら自己
対話をしていることになる。 過去も、過去の文章も、母親のようでもある。
懐かしく、優しく、厳しく、行蔵と、限界を、眼前に突き出される。

《 私とは繰み込まれた他者のことであり、その場合の他者とは、何よりも
 まずもっとも身近な他者、養い親とりわけ母にほかならない。
母がまず子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのである。
言語はこの現初的な入れ子構造――から始まったのであり、そうである以上、
入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことだ。
したがって、相手の身になることが出来るようになった瞬間、人はこの入れ子
構造が永遠に続きうるということを――母、その母、その母の母、つまり、
自己の背後には無数の死者がいるということ――を会得してしまっているはず。
現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、死から離れた視点、
第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている』。
 孤独が寂しさを伴うところに、「出自」が暗示されていった孤独は、母の
懐から生まれるのである。
 …相手の身になる能力は捕食するものと、されるものもの、追うものと、
追われるものの身にならなければ逃げきれない――、その能力は、この二つの
視点を入れ替え可能にする蝶番のような視線、すなわち、さらに上からの
俯瞰する第三の視点を想定しなければならない。この第三の視点が私という
実質――人間的意識の実質――なのだ。空中に浮遊する第三の視点は身体を
含まない。だからこそ、私には私の死が理解できないのである。死が不条理に
思われる理由だ。この第三の視点と、現に行動している行為主体との関係が、
内的対話、内面に他ならない。行動主体は現場に属し、俯瞰する眼は永遠に属す。
すなわち身体と精神である。…  》

▼ 毎朝、ブログを書上げた直後に、仏前で2〜3分の祈りをした後、
 ポタリングに出かける。その時、仏前の両親の写真をみた直後に、祖父、
祖母、亡くなった兄、姉の顔を想いうかべながら、安らかにお休み下さいと
念じている。自己の背後にある無数の祖先の存在こそ、永遠の具体的イメージ
になる。それに加えて、秘・異郷先での、大自然や、文化、文明との邂逅も、
然り。第三の視点こそ、永遠の魂の存在を暗示してくれる。 座禅、瞑想、
飛行機内の黙想にしろ、孤独の果てに行きつく永遠が浮び上ってくる。
 浮遊する自己の‘発見’? どこを彷徨ってきたのだろう、私の魂は!
「行きつくところ… 言語の政治(祭りごと)ですか?」

・・・・・・
5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を

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11月19日(月)
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