ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4815,尊厳死は必要か ー1
 尊厳死について、多くの身近な人たちの最期をみて、これは正しい!という答えが無いことを前提に、
司法は可能な限り介入すべきではないと思う。 回復の見込みがなくなった時に治療の中止を認める、尊厳死法案が
検討されているが、これは当然のこと。 人生の終わりに、どうすれば尊厳は守られるのか、当人にとって大問題である。
 この3月末にとり上げた、「そんなに長生きしたいですか 1〜7」の内容に通じるところがある。
  ◆ 深く悩み納得するのが先 ー①   <映画監督・周防正行>  ー朝日新聞 オピニオン〜耕論ーより
《「患者に良かれ」と思い、治療をやめたお医者さんが、告発される。一度つけた呼吸器は外せない。
 そんなことがあるのなら、何らかの法律が要るんだろうなと漠然と思っていました。
でも、2012年に公開した映画「終(つい)の信託」をつくるため終末期医療を調べるうち、
「待てよ」と感じるようになりました。死の迎え方は、人がどう生きてきたかと同じように、一律ではない。
経済的な理由から治療をやめざるをえない場合もあり、社会システムの問題でもあると気付いたのです。
 取材してわかったのは、食べられなくなった時に栄養を直接いれる胃ろうをつけた家族も、つけなかった家族も、
どちらも「正しかったのか」と悩んでいること。そこに正解はなく、あんなに考え、話し合って決めたのだから、
という思いがせめてもの救いになるのでは。その質と量によって納得するしかないんですよね。
 今の医療現場では、患者や家族と医師らの間で信頼関係を築きにくい。お互い忙しく遠慮もあるのでしょう。
患者や家族がいつでも、これからのことや不安を相談できる人が病院にいる態勢づくりが、大事だと思う。
患者と医師を結びつけてくれる窓口のような存在がいると、患者や家族は深く考え、きちんと悩めるようになるのです。
 この人が望む道は何なのか。共通認識を持ち、それを実現するのが「尊厳ある治療」なんじゃないかな。
まずはそれが大事。良い医療かどうかって、患者や家族がいかに納得できるかにかかっている。
コミュニケーションがうまくとれないとだめなんです。・・・ つづく 》
 ▼ 医療現場では、各個人の尊厳死に至るまでのフォローする仕組みなど出来ていない。
  あとは、医療経営に有利な延命治療か、家族の都合によって生かされるか、殺されていく。
 病院を監獄と看做すと、病室は獄内、身体につけられたチューブは鎖、看護婦は刑務官になる。
 そこでは、拷問のため生かされた人たちの苦しみの悲鳴が聞こえてくる。チューブを外し、死なす尊厳死は
 犯罪として禁じられている。しかし、当人も、家族も、それを望むなら、拷問のような苦痛の人を死なせる
 ことも、必要になる。それを法律で禁止すること自体に問題がある。縁者の死際では、殆どが医者の手で、
 呼吸を止めているが、その前段階に、本人や家族の希望で延命を認めるべきだが、色いろなケースがあるから
 一概に断じることが出来ないのが末期医療。今までは他人事だったが、今では近い将来の問題になってしまった。
・・・・・
 4448, 屋根裏に誰かいるんですよ −2
2013年05月21日(火)
       「屋根裏に誰かいるんですよ ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著
 「幻の同居人」をネットで検索すると、日本老年精神医学会学会での「幻の同居人」に関する考察で、医師の深津亮
(埼玉医科大学)が講演で、以下のような発表をしていた。
  1.はじめに = 超高齢社会を迎えた我が国の社会構造は劇的な変化がもたらされている.高齢者は社会的に孤立を
余儀なくされており,このような孤独な環境は 種々の喪失体験を増悪させ,特有の妄想反応や誤認症候群を生じる母胎となる.
「幻の同居人」もその様な症状の一つであり,「自分の家の中にだれか知らない人たちが住み込んでいて,さまざまなかたちで
自分を苦しめる」という妄想と定義されている.
「幻の同居人」はRowwan EL が1984 年に「自分の家の中にだれか知らない人が住み込んでいて,さまざまなかたちで自分を苦しめる」

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05月21日(水)
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