ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4795,「消費される物語」 ー4
朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
* 二つの大震災は「自然と文明」の大きな物語に開かれる機会だった!
私の人生のテーマは、「創業と事業を遊ぶ」だったが、それもブラック・スワン(思いもよらない震災クラスの事象)
の何羽かの出現で終りを遂げたが、結果に対して挫折感は殆どない。むしろ、自分の手で息の根を止めることが出来て、
良かったと手前勝手に思っている。で、これも、物語。物語とは手前勝手の筋書きでしかない。無事にリタイアをして、
事業を次に送ったとしたら、閉じられた一つの物語だが、私の結末は、破壊により開かれた物語になる。
ものは考えようである。 しかし、物語には節操が必要である。 ーその辺りからー
《 ー忘れられる節操ー 将来への不安がのしかかってなかで、私たちは小さく閉じたきな物語の方向に開かれる
身近な物語に癒やされているわけです。最近は作曲家を話題にするときに、作品と関係のない事柄が全面に出てくる。
女性の研究者の話題でも、メディアは研究の内容関係ないファッションや趣味などを大きく取り上げる。それが節操のない
ことだという了解がなくなっている。 STAP細胞を発見したのが、30歳の女性ではなく、さえない中年の男性ならこれほど
社会的な関心を持たれることはなかった。本筋と関係ない過剰な物語がつくられることで、スタップ細胞について、
よりよく理解できたかというと、そうではない。
物語は自ら完結する性質があります。つまり物語の外を遮断して閉じているということですが、この閉じた物語を
あえて開いて、外にまなざしを向けるのが人間の進歩というものだったと思います。
けれども、物語を外に向けて開くことなく、心地よい物語を作っては消費して、飽きたら捨ててまた新しい物語を作る。
その繰り返しでは社会の進歩はありません。阪神と東日本の大震災は、「喪失と癒やし」といった小さな物語として
消費されてしまいがちですが、本来「自然と文明」という大きな物語の方向に開かれるいい機会でした。人間の文明など、
自然の力で一瞬にして押し流されることがある。そう気づいた以上、「私たちとは何者か」と語りなおすことによって、
内向きの物語が外に向かって開かれる可能性があったのですが。結局、「復興」という美名を冠したあまたの物語に
のみ込まれてしまっています。
私が小説家として目指しているのは「閉じない物語」。いろいろな人間、価値観が混じりあって混然一体となった
空間です。いたるところに破れ目や出口がある。あえて完結はしない、大団円やオチがない物語が理想ですね。》
▼ 地元の城下町・長岡に戻ってきたとき、「アッ危ない!」と思った。『閉じられた孤島の世界があって、
この価値体系に飲み込まれると自分の一生が潰されてしまう。とにもかくにも、距離を置くこと。自分の世界を
つくり、第三者をいれないこと!』であった。こう割り切ると、これほど面白い世界はない。で、今回も、その
距離のおかげで、比較的、冷静にいられる。「目くそ、鼻くそを笑う」というが、そんなもの、「ドくそ、目くそ、
鼻くそ(を)、笑う」でしかない。逆に「ドくそ、目くそ、鼻くそに笑われる」と、割り切ればよい。所詮は、共同幻想で
しかないのだから。挫折を個人にとっての大震災と喩えると、その人を取り囲んでいる地球の、そして身近な
「自然と文明」に、気づき、開かれる機会になる。この東北大震災も、リーマンショックも、日本人に、いや、
人類にとって、「文明の行方の方向性を、根本から考え直せ」になる。私も、この結果を含めて人生の意味を考えると、
森の生活から、サバンナの生活に移行し、早く馴染め! ということか。
これからして、{『東京オリンピック』は、明らかに愚行そのもの!} いや、{オリンピックは文明の象徴、
これで良い!}と意見が分かれるが、私は、せっかくの再生のチャンスを潰す象徴!の方が、正しいと思うが・・
・・・・・・
4428, 前期高齢者になって、気づいたこと!
2013年05月01日(水)
* 老人教育の必要性
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05月01日(木)
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