ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4790,閑話小題 ー父親のこと
* 父親のこと
これまで、母親について語ってきたが、父親について殆ど書いてなかった。
父親が42歳時の時に8人の末っ子として生まれた為、父親が孫のように特別扱いされ育った。
それもあって、直ぐ上の兄に陰湿に虐められてもいた。御陰で、気が強く、常に自分の身を守ることに、
人一倍の知恵が身についていた。今回の一連も含めた危機管理などの用心深い性格は、この辺りからきている。
大家族の中、父親が絶対的存在で、母親も、兄姉たちも、常に緊張の中で父の顔色を伺っていた家庭環境であった。
父親は骨董商の二代目。祖母が婿取りで、母が結婚した時には、当時の資産で七万ほどあったと、母の晩年になって、
語っていた。母が結婚当時、父に「うちは金持ちなの?」と、聞いたところ、「金持の目安が10万で、どうだろう?」
と答えたというが、その後、数倍に増やしたというから、資産家の部類だったようだ。 プチブルというところか。
太平洋戦争前まで、当時のトップセールスを思い立って、津上製作所社長や、野本互尊などの上客を持っていて、
年に数回の取引で、かなりの利益を上げていたという。そして、大戦の勃発で、骨董は売れなくなり、地元からも
多くの戦死者が出ていた。その中、仏壇販売で戦中の生活を凌いでいた。それも終戦を向え、次に考えたのが古着販売。
食えなくなった人たちの古着を他より高い値で買取り、欲しい人に、安い値で販売することを思いつく。
それが拡大したのが、衣料量販店である。これも、問屋からの仕入れでは安く売れないため、岐阜、名古屋、岡山、広島
などの生産地に直接行き、仕入れることを考えついて、繁盛店として、全国的に知られるようになった。
商売人の基礎の質実剛健をモットーに、明治気質の、真面目な人であった。顔つきも、性格も、私が、そのまま、
受け継いだが、酒は、殆ど飲まないところが、私とは違う。 趣味は、旅行と、骨董収集と、茶道と、住宅の建設。
自宅や、姉たちの新築建設に金も口も出して、そのプロセスを楽しんでいた。家も、店でも、チリ一つでも落ちているのを
嫌い、徹底的に掃除をさせていた。学歴コンプレックスが強く、自然に娘婿には高学歴の人がなっていた。
友人の持てない人で、株屋や、保険屋の営業などしか、傍には寄せ付けなかった。兄姉も、怖れて近づかない中、
末っ子の私だけが何時も父の傍にいて、何かペットのような存在であった。法事などは、何時も私だけが出席をしていた。
父親は、太平洋戦争を挟んだ激動期を、乗り切ったが、私は、結局は、飲み込まれてしまった甘い三代目になる。
この随想日記も〈売り家と唐様で書く三代目〉の‘唐様で書いた’で、しかないのか。 ゙(。ノω オハヨウゴザイマス
去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。
ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
それによると、海外在住移民の数が3500万人! こんなもの?と思ってしまった。
シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。
総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。
これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が13000人と、
26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に妬みと軽蔑の気持ちが強く、
互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
その内容を要約すると、
・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人 ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
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04月26日(土)
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