ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4789,葬式は、要らない ー2
                    「葬式は、要らない」島田裕己著
   ーアマゾンのレビューよりー
《 過激なタイトルだが、葬式が「要らない」のではなく、そんなに金をかけるものでは無い、と言いたいのだ。
「高い高い」と言われても、何もお寺が強要してる訳でもなく、また業者も商売なので、多少の出費は仕方ない。
人が嫌がる、または面倒な事をお願いするのだから。また諸外国と(金額の)比較をし、日本が異様に高いというが、
国柄や文化がそれぞれ違うのであまり参考にはならない。要は個人個人が思うようにすればいいだけの話。
 でも日本人はそれができない。冠婚葬祭に関しては世間体やら周りの目を気にする体質ですから。
ある意味、日本に住んでる以上葬式にお金がかかるのは仕方の無い事かも。 日本人は世間体を絶えず気にする。
それがあらわれるのが葬式。布施や香典は行う側の気持ちによるとされてはいるものの重視されるのは、自分が
いくら出したい・出せるかではなく、他人がいくら出しているのか、である。
こうした感覚が日本人のなかに育まれる上で重要な働きをしたのが村落共同体の成立である。江戸時代に入って
寺請制度が導入されたのは大きな意味をもった。すべての村人は村内にある寺の檀家になることを強制された。
よって村人は必ず仏教式の葬式をしなければならなくなり、戒名も授けられた。
 仏典は膨大な数が存在するが戒名についての説明はない。仏教が広まった地域のなかで戒名という制度が存在するのは
日本だけ。初期の仏教はインドで生まれ主に東南アジアの国々に広がった。その後生まれた大乗仏教はインドから
中国に伝わった後、朝鮮半島や日本に伝えられた。最後に生まれた後期密教はチベットに伝わった。
 出家した僧侶がその証に戒名を授かる点は日本も他の仏教国と同じだが、一般の在家の信者でも死後に戒名を授かる
のは日本にしかない制度だ。しかも日本では出家であるはずの僧侶が妻帯し戒律を蔑ろにしている。破戒の道をたどって
いる僧侶が授戒を行い矛盾している。多くの宗教にも出家の制度は存在しない。あるのは仏教とキリスト教のカトリック、
それに東方教会だけ。仏教でも本来、出家した人間に僧侶としての名前が与えられるのであって、俗人にそれが与えられる
ことはない。が、日本では禅宗で在家の信者の葬式の作法が確立され、その際、いったん出家のかたちをとらせたため
戒名が授けられることになった。 寺にとって財政を支えてくれる檀信徒の存在は不可欠で、寄進された土地や田畑は
寺領として寺の維持に貢献した。が、明治に入り寺請制度は廃止され、寺領は召し上げられた。奈良の寺々は葬式仏教の
前の時代に創建されており境内に墓地を持たず檀家も存在しない。寺領没収後は他の収入の道を確保せねばならなかった。
境内に墓地を持ち地域の住民を檀家としてかかえる一般の寺院は葬式仏教の道を歩むことで生き延びることができた。
寺は檀家の布施がなければ寺は成立しない。戒名料が高騰するのは戒名の本質が死後の勲章だからであり、立派な戒名が
葬式を贅沢なものにしていく。が、戒名のあり方や戒名料への批判はあっても改革が行われないのは寺院経営の問題が
深くかかわっているからである。寺は宗教法人であり、檀家は法人を構成するメンバー、つまりは信者である。・・・ 》
 ▼ 上記の内容は、この情報化では一般的に周知のこと。ますます、お寺は衰退し、墓参り仏教も、変化する。
  戒名など、いらないし、年内に自分でつけた戒名の位牌をネットで注文しようか、そんな必要もないか?
 私の場合、家族葬で20人ぐらいで、葬儀社の指定した僧侶にお経をあげてもらって、
 それで御終い! それを、むしろ願っている。死んでしまえば、それまでよ! である。 墓は、このブログで充分!
・・・・・
4422, 糞袋の内と外
2013年04月25日(木)
              「糞袋の内と外」石黒 浩 (著)
 「世界の中の自分は時に不自由であるが、世界を飲み飲んだ自分は自由なのである」という新聞広告にひかれて、

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04月25日(金)
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