ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4780,ぼんやりの時間 ー9
「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著)
* ぼんやり時間について ーつれづれに
10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力を
あげていた真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《 ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。何冊かを調べてみて、予想以上に評判が
芳しくないことを改めて知った。「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが集中しない様子。
④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつであったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は
否定的な意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように否定的なものだと思う。
たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態でふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論もない。そういうことは承知の上で、串田孫一は
「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に
「ぼんやりH」といい、ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し説いてきたのは、主に
このぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書き
つらねてきたのは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。 世の中の支配的な風潮に対して否定的な考え方を
示すことは、難しいことではあるが、ある意味では実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、
「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きを
いきいきさせるものがあり、生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか大切なことではないか。
そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。
「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、
「静」や「休」や「ぼんやり」もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、私たちはあまりにも
「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっている
のではないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」であるということとは別に、
「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりすることで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。
ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせるためにも必要なのだ。》
▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。
その他に、もう一つ、背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、ボーとした時間である。
これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから
エネルギー、気力が湧き出ることを、である。 ツアーで、独自で行けない秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。
そこでは、旅の企画と手配と案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、バスの中。
そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、
ただただ、ボ〜っとする時空の魅力に気づくようになった。 何か、痴呆症の勧めのようだが・・
・・・・・・
4413, 早起きの話
2013年04月16日(火)
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04月16日(水)
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