ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4774,ぼんやりの時間 ー7
「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著)
* 「怠」―「1日四時間労働」の夢
「怠」肯定の論など、それもラッセルというから、驚いた。 ーまずはその辺りからー
《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。
怠けることは「いいことなのだ」といえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。お前は怠け者の
味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働くものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんか
おしまいだ、などなど非難のツブテはつきないだろう。
怠けることは大切なことだと主張したラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものには、悪魔がいたずらをする」
という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いままで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。
それでもなお、ラッセルは「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしていると主張する。
ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。
人びとが生きるうえで大切なのは、「閑」である、という思いがラッセルの主張の根幹にある。
勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませる
ためにいいつづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。
少数の特権階級は、他人の労働のおかげでたくさんの閑な時間を享受している。自分たちの快適な閑を守るためにも、
特権階級は働く人に向かい、「働くことは大事なこと」といいつづけてきた。
「私が本当に腹からいいたいことは、仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらしている
ということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくにあるということである」と、ラッセルは書いている。
文明が起こってから産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった子ども働いてきた。
しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の
管理下にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころではない貧しい暮らしをつづけいた。 》
▼ 「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は
装置産業だった。 当たりさえすれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。 当初は、戸惑い、
暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも
代えがたい贈物であった。 冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、後悔が少ないのは、
膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者でなければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽が
はえ、空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 生きるのは、辛く、哀しく、面白く、
滑稽な、ことである。 立場が変われば、見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、
人生で一番、必要なことをしていた。 聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・
・・・・・・
4407, 閑話小題 ー自転車の修理
2013年04月10日(水)
* 自転車の修理
一昨日はチャリのパンク。で、何時もの自転車屋に持っていくと、オヤジさん、転んで左手を骨折で修理が出来ないという。
「手伝うので直してほしい」と言うと、しぶしぶ納得。 そこで思ったのが、自分でも可能でないかということ。
「こんど泊り込みでサイクリングに出たいがパンクが不安。で、見ていて私でも直せそう」というと、「問題は修理道具だが、
二本の専用ヘラがあれば、タイヤ外しと装着が手軽に出来る。HCにはパンク部分はゴムのノリ付シールがついたパンク修理
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04月10日(木)
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