ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4773,ぼんやりの時間 ー6
「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著)
* 「閑」ー逆茂木に囲まれて
森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、まさに逆茂木の「閑」の世界である。
閑の字は、門の中の一本の木がある。それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー
《 とげさかもぎ刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、
「邪魔者はたやすく突破できない。逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこともできる。
それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・
だれにも知られていない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない尾根道で二時間も三時間もぼんやりした
ときをもつとか、そういうのが逆茂木に囲まれた「閑」の状態といいうのだろう。
閑は時間であり、空間である。 それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐りつづける
時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあるといってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で
囲むには、それなりの工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。
心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり
身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり
(中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。
目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも
苦しみ、楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。
(中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、
独りになること、雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そしてたっぷりとぼんやりする時間に
恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。
そのよみがえりは偶然のことではなかった。》
▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、ということになる。現に、この二m四方の、
この空間は私だけの世界で、BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。今では、
タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も
必要である。雪もとけ、自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」を意識的に
始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、
ベンチで30分でも一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競いてしまう。
・・・・・・
4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)
* よい先生、わるい先生 ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 より
著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などのレポートを読んだことがある。
「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、
その人にとって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、ハッとしたもの。
これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。
ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、
地名の意昧を質問したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げたというのだ。司馬さんは帰り道、
市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
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04月09日(水)
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