ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4768,ぼんやりの時間 ー2
     * 「ぼんやり」礼讃        『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
  受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の世界では生きていけない。
 逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、
決して物質的に豊かになれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 ここで、
リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。これまで否定的だった「のんびり」こそ
礼讃するに値する時節到来ということ。 ーその辺りから
 《 ・・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。小さな公園のベンチでもいい。
 コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日のなかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、
ぼんやりを体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける静かな場所に坐り、背を伸ばし、
肩の力を抜いてみることだろう。深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く吐ききるまで吐く。あなたのからだは
まだまだ硬い。ゆったりとした気分になり、さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態になればしめたものだ。ときには、静寂が
皮膚にしみこむのを体感することができるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わうことが
できれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな大きな公園があれば、なおさらいい。
そういうところは、きっとあなたの好きな木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。しかし串田は、それを手品師のように
鮮やかに結びつけている。その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなりと合点した。
よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、
それらはみな、長い黙想のなかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている。・・・ 》
 ▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 地域柄、何ごともおおらか。
  挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。
 大柄で、スローテンポで、陽気で、こころ優しく、ぼんやりしている。 先進国が優れている!が、戯言と、
 直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくっている。3月半ばの15時からポタリングを再開した。
 途中で5分ほど信濃川の土手で休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、気分は良い。
 が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。
 信濃川の土手で、春うららの中の転寝は、気持ちが良いに決まっている。他人様の転寝を見ていたが、自分に置き換える
 知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで、毎日、20分間、ボッケっとしているが、確かに
 リラックスする。生きているうち、元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を
放送していた。 フランクルの著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 ー内容をNHKのブログでみると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だと説いた。最終回では、フランクルの

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04月04日(金)
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