ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
                         ーひと言でいいのですー吉川直美編
   * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外に多い。それも人生だが、ポッキリと
折れてしまう危険がある。その時に立直るに大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。 かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験する方が、しないで済んだ人より幸運?
大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」 の声が心底から生じてくる  ーその辺りから!ー
《 【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生のあらゆる分野で教えられる。
   挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
 ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばして人きぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが
参加されていました。 ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも愛され、早くから
神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、
修道院長に命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、寄り添い寄り添われ、やがて十分
泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。
「私には人の痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、最後の最後に、味わいの無い自分の人生に
 愕然とする。秘境旅行の参加者には、そういった風な人が、人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の先生が、定年時に私に深刻に話したのは、
このことだった。「定年になった現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、そこには
自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。
その怒りを周囲の挫折や悲哀に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で洗おうとする
哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をしたことになる! 自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。
そのことを自覚できないのも人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!  
・・・・・・
4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
    * 待つことをめぐる考察  ー時間編      「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば「待つこと」で大半は占められている。
列車を待つ、車内で目的地に着くのを待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど、待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチで
ネットサーフィンやゲームをしていればば、別に喫茶店でなくてもよい。 それは待つ喜びも失われたことになる。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。現在、そんな気持ちになることなど殆どない。
主体的な待つのは良いが、相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代は、ムダな時間を排除するのが求められる。
そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなりつつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。
そして定年や人員カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られがちになる。それに苛立ちと
焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。

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03月26日(水)
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