ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4704,「考える」と、「思う」の違い
   *「考える」と、「思う」の違い          ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・・と思う」がある。「思う」は、感覚的、無意識的という
ニュアンスがあり、これを受けて論理を組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝した
内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、より不正確である。物思いという言葉にも
 表われているように、それは時には余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにもとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう未分化であり、人間のより多く部分をその中に
まきこむ。考えるのが主として理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずるということにその基礎を置いている。
考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。
こういう風に、思うと考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに補いあってひとつである。
思ったことを考えることでより精密化し、考えたことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識のうちに
私たちはくり返している。 ・・・ 》                           ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
 ▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、「思い」「考える」ことになる。
◎「考える」は、「言語を用いて」「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し、    [(ーヘー;)え〜と..  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」
「悔しいと思った。」「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある? 「思う」がどちらかと言えば受動的、
「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚になる。英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の
 神秘に触れたり、書物を通したりして一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。「思う」を受けて
「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン
・・・・・
4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
   * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が何気なく発した一言が印象的であった。
「私には友人が一人もいません。だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」 一瞬、その場が
白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生のコンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、
あまり人に好かれるタイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。大方が飲み友達だが・・
しかし、堂々とTVの前で、「私には友人がいません!」と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、
独り部屋の中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。別に友人など求めず、単独に徹すれば、
これほど自由なものは無いはず。一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。
仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを
見るぐらい。情報化の時代に逆に、こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。糖尿で
片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、一切外出をいないという。ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 

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01月30日(木)
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