ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人!
   *  映画館貸切?の念願成就!
映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、その思いが成就した。 
一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が入って来てガッカリしたことがあったが・・
一昨日は、4〜5百人の会場に私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。
内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。若者のゲームの物語に
参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい?
とすると、一割以下のコストは価値がある! 
   * 近所の喫茶店
 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店『米田コーヒー』に行く。
一〇時過ぎから一時間半いたが、11時まではトーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。
何か落ち着くのは何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって夕方まで腹持ちがした。
 100席+別席で150席。値段は400円なら、価値がある。コーヒー・パンレストランという風。
   * ウィリアム・ブレイク の以下の詩が良い!   ー『無垢の予示』より         
 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・
 まさしく、これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいけ⬅️る。             
  ――                             
 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 
 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ

・・・・・
4333, 自己とつきあうということ −3
2013年01月26日(土)
                   「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
   * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること!
≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在であり、同時にその途上にあって、
しばしば自己へのかかわりを課せられるような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を
意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ存在することを余儀なくさせられるのである。
年齢的な変化とそれに伴う生成の途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを問うこと、
自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも
避けられないであろう。
 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、自己のなかに問うに値するものを見いだす
ということである。それはまた、自己といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。そして、その問いを
実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や変化に対して注意深く見つめていなければならない。
 自己の主題化とは、状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて何度も眺め変す試みである。
しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある
かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿があらわれてくるであろう。・・・ ≫
 ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。それは、自分を上から目線で見つめることになる。
  それを続けていると、書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、
 自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、
 これを毎朝、読み返している。その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。
 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみることが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の

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01月26日(日)
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