ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4687, エッセイ力は人生力 ー2
「60代からのエッセイ教室」木村治美著
* エッセイを書く目的と、日記との違い
ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。
その文章は創刊号であるためか、おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入ってエッセイを
書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたくなったのは、つぎの一文であった。
「エッセイを書こうと思うようになったのは十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心の動きを観察することで、誰が読んでも
傷つかない文章を書きたくなった。きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識されている。感動的ともいいたい鋭い
「気づき」である。エッセイには自分自身がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように客観視すること、といい直してもよいだろう。
日記ではこの客観化がなされにくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分以外に読むひと
なんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、
やや他人になった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、ヘドが出そうになったであろう。
自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」しようと思い立った。それが自分を成長させる。
そう、日記は記録とはなりえても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記のメモ的のものより面白い。これを書くときは、
ネタ切れのケースが比較的多いため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。 それが面白みを出すようだ。
だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容こそエッセイになっている。そのため、
時どき、切り取って、「閑話小題」の転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、
書き出すのがエッセイの目的であり、日記との違いになる。 日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、
それでも日本の医療制度は世界で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いてくれた内容。
大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
ー内容説明(アマゾン)ー
「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」「薬は10種類知っていれば何とかなる?」
「みんな最後の医者にはなりたくない」「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・・、浜松医大名誉教授が名誉を捨てて?、
患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。日本全国約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。
今や医者からみたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」というと、何年後かに病気に
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01月13日(月)
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