ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4666, 閑話小題 ー40数年前のクリスマス
* 40数年前のクリスマスか〜
TVでも、ショッピングモールでもクリスマスソングが聞こえてこない。出歩かないこともあるが、10日前の飲み会に
向かう途中で通った駅前の市役所アクロプラザ大広間の電飾クリスマスツリーぐらいである。ショートケーキを買ってきて、
少しその気分を味わう程度で十分ということ。TVでクリスマスに関するハリウッドの心暖まる映画を放映しているが、
ほぼ全部見たものばかり。イエス生誕の祝いも、日本人には関係ない。ーそこで過去のイブの日をブログ内検索をしてみたー
≪ーある時間の断片 ●12月25日 1968年ー 11時に起床。午後本を読んだり、食事をし過ごす。夕方、米林が帰省をしていく。
夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。
いざ中に入ろうとすると、一人として物怖じをし入ろうとしない。今さらと強引に入れようとするが3人逃走する。
やっと市川さんと、あと一人を入れる。入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。
24時に帰寮。変な学生時代最後のクリスマスであった。来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。
●2003年12月24日ー その一年後1969年のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から転勤した神戸の垂水。
転勤直後の店頭で、瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。クリスマスの日は、寿司屋で
仲間内で飲んでいた。その後、神戸の場末のストリップ小屋に店の先輩に連れて行かれた? 面白さより、気持ちが悪い!
という実感が残っている。それより観客の冷やかしの掛け合いが面白く、館内は爆笑の渦だった。
その時は、僅か入社八ヶ月で、もう靴部門の責任者であった。30歳過ぎの古参女子社員が部下で、どうもこうも!
そして年越しは床屋の椅子の上で過ごしていた。考えてみたら、年越しを実家以外で過ごしたことはなかった。
『何が流通革命だ!』と思いながらの年越しも、今から考えれば良い思い出である。》
▼ やはり、書き残してあるのは良い。読み返すと、40数年前の記憶が鮮明に読み帰ってくる。で、以下の10年前に飛ぶ!
ー2003年12月25日(木)ー
995, クリスマス−2
昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、
半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。 5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の
立ち上げの責任者に取立てられていた。それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない
新参の危うい小売屋でしかなかった。濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。
話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
信じられないような光景が色いろあった。ところで、その年の年越しを思い出した。宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。
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12月25日(水)
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