ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4616, 君は1万円札を破れるか? ー4
         ー君は1万円札を破れるか? 〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   * 年収は人の価値判断の基準になるのか?
 森の生活(経済社会)から退いて、サバンナ(隠居生活)に出て気づいたことは、これまで、「人の判断基準に、
手持ちの資産と、年収を価値基準にしていたこと」である。資本主義社会の洗脳である。「格差社会」「勝ち組・負け組」
の言葉の背景に資本主義社会の価値観がある。それも一線を退けば、その比重は低くなる。お金を気にしないで済む収入と、
蓄財が幾らかあれば、それ以上は皆、同じ。森の生活では、稼ぎが、その人の価値と錯覚をしてしまいがちになる。 
他人との比較で、その額の差が人間そのものの価値と錯覚をしてしまう。「お金には絶対的価値がある」「お金はすべての
モノの価値を規定する物差し」という洗脳が長年かけてされ、それを疑おうともしない。 お金で、自分の労働や価値を
規定され、振り回されている状態は、宗教に洗脳された信者と同じ。
 著者は、ここで、現代社会における「価値」を、「物理空間における価値」と「情報空間における価値」と分けている。
物理空間とは、体で触れることができるモノの世界。情報空間とは、脳や心の中に存在する様々な概念が作る空間である。
米を例にとると、タイ米と魚沼コシヒカリ。その価格差は10倍近いが、物理的な味と栄養は、せいぜい二倍?あるかなしか。
「美味しい」という感じ方はそれぞれ違い、何倍美味しいとの数字化は不可能。タイ米と魚沼コシヒカリと表示されなければ、
値段の差だけの価値を感じることはできない。ブランドものは、バーチャルバリューが、その価値を高めている。
年収も財産も同じで、ある金額以上になると大して変わらない? いや2千万と、2百万の年収では生活の快適さは違う? 
貧すれば鈍するし、豊かさには幸運の機会を多く集まる。年収が多いに越したことはない。貧しさは、人間性を卑屈にする。
問題は、年収が「絶対的」ではない、ということ。 タイ米なら、タイ米にあう調理をすればよい。考え方である。
「資本主義社会の洗脳」の自分を一度突き放し、冷笑し、卑屈にも、のぼせ上がらないこと。所詮は、娑婆のこと。
それを自覚し、超越するために、ライフワークを持つこと、それが教養につながる。 多趣味か、一つの趣味を深く
追求するかと、年収が多少の差とを類推すれば、理解しやすい。 
  = 偶然、7年前に、同じようなテーマの読書日記があった。
〜〜〜
2073, 金は人を幸せにするか?
2006年12月06日(水)
           才八∋ウ_〆(∀`●)
  お金に関しては、何度か書いてきたが・・
 先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
          毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』    =W・バーンスタイン著の書評で、
 その内容が紹介されていたが、なかなかよい。    建前でいえば、
 「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
 それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。
 質問そのものがナンセンス」が正論である。
 しかし本音のところ、 「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
 そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、
 最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
 これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。
倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。
 私の持論は、 「金で8割の幸せは買えるが、あとの2割は金で買えない。
その2割こそ一番大切なことである。しかし8割は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、

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11月05日(火)
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