ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
            「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、平均10年近くの介護にならず済むため、
むしろ幸運だった」と思うようになってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが人情。
あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、
一年と宣言されるか、悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていくのだろが、くも膜下で
一瞬、消えていく可能性もある。  ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述であるー
   * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日はー生涯忘れられないとともに、その後の
「記憶のない」日々の始りであった。その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ猛暑の中、その日は夕方の五時頃、
翌日から大阪に帰省する妻とともにホテルに、チェックインしたのだった。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、
キーンという耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、ごく短時間だが意識を失っていたという)。
 仕事柄、少しは脳のことを知っている私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こったと思った。
そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分のどこかで起こったのではないか、と推測した。
脳は左脳と右脳に分かれ、それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に麻痺が起こるのは、
反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。
これはへたをすると、ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…… そんな不安さえ頭をよぎった。
 あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。
私は翌日からの引率が気になっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的には従うことにした。
そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットからパスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた
カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうしている間も、激しい頭痛は止まらない。
その後ようやく、二人の救急救命士が到着し(・・略)救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか窮屈で、
しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている
私からも血圧計の数字が読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、どんどん上昇していく。
私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻にかろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。
実際、私は今もなお、あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に思い浮かべることができる。
しかし私には、その後、つまり救急車の中で意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。
この五日間に、月並な表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らない
 まま亡くなってしまった。状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく生々しく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは思ってもいなかっただろう。
 この年齢では、「マサカの坂」はない。
・・・・・・
4192, 呪いの時代 ー9
2012年09月17日(月)                        

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09月17日(火)
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