ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4555,横尾 忠則の老人論 ー2
                      「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
   * 人生の目的 ―バルザックの場合
 ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に、「空白=虚」の領域を持つことー これが私の人生の目的。
その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」になるのか? 生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)を常に
意識をするため、休息が必要ということか? 欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇をとり、生活圏から離れ、ただボッとする。
それが彼らの休息。日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、娑婆から隠れるためにある。
  ーまずは、その部分からー
《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則に従うことを拒絶し、自らが自らの規則に
 生きることを本懐としているのである。世の中の潮流や流行は意に介さず、無頓着でいなければならない。
社会や他人の支配に従うのではなく、その時の気分(そう、この気分が大事である)に従うのを第一義にしなければならない。
バルザックも「芸術家は自分の好きなように、またはやれるように生きる」と語っている。
 「人生の日的は休息にある」というバルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は万人に通じる。
先に彼は「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが芸術家は何もしないでボーッしている瞬間にも、
作品の構想を頭の中で練っている。だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど肉体労働ではない。
知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。「芸術家は休む時がないですね」と言われそうだが、確かにそうだ。
でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。考ているようで考えてない状態、三昧世界に入っているのである。
バルザックが「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言うところがさすがである。
 つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベストの状感だからである。またこの無意識の状態こそ最も健康な状態と
いえるのではないだろうか。常に頭を使ったり過度な肉体労働をすることは健康を害することに結ぴつくことがある。
バルザックが人生の目的を「休息」と言ってのけたところには人間の究極の幸せがあるように思う。大半の日本人は
人生の目的を手に入れるためには多忙を極めなければならないと考えているのではないだろうか。「休息」を目的にしたら
きっと落ちつかないに決まっている。「休息」の背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。
貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向くままに生きることこそ優雅な人生の目的である
ということを「休息」を通して学び直す必要があるとぽくは思うのです。》
 ▼ 「休息は死後にすればよい」というが、「激しく生きた後の死こそ人生の目的」と言いたいのか?
  先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行したミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。西アフリカのバスツアーで
  ひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで、「この旅行は、私にとって仕事。異国のツアーが私に創造を喚起する。
  しかし税務署は、これを経費と認めてくれない」と言っていた。芸術家にとって休んでいる時が、創造状態にあり、
  それをカタチに移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。
・・・・・・・
4180, 復讐するは我にあり
2012年09月05日(水)
 『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、”我”というのが神様(イエス)のこと。復讐はまた新たな
復讐を呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。
この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした作品
【復讐するは我にあり】。 1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった一人の男、

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09月05日(木)
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