ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4510, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー4
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
今まで大半の日本人には「命の長さが絶対」という思い込みがあった。医師も最大限生かそうとし、家族に示そうとした。
また日本人には死に目に立会うべきという通念があり、家族が集まり、最期を看取るのが価値あることと信じていた。
でも、それは本人にとっての幸不幸でなく、一種の儀式のためで、家族はモニターの波をみていて死にゆく人をみていない。
当人にとって延命は苦痛そのもので、「孤独死」でしかない。 以下の項目も、辛辣な医師と家族への批判だが、こんなもの。
* 第三章 日本人と死
・死に目に立ち合う症候群 ・臨終のすったもんだ
・胃ろうと「生かすことはいいことだ」 ・1時間かけて食べさせるのは愛情? 拷問?
・生死も「長いものに巻かれろ」 ・自然に死ねる「野垂れ死に」「孤独死」
・90歳過ぎるとだれも遣骨を取りに来ない ・死後の始末を他人に頼むには、金がかかる
・「香典医療」で死ぬ前の数ヶ月に大金を使わせる ・余命6カ月エクササイズ
・日本人は自分で決められない ・無言の「若さ圧力」「健廉圧力」がすごい
・「平穏死」と「胃ろう」 ・がんの治療やーめた
・がんを放っておくと家族がうるさい ・薬師もにわか軍医も医者に昇格
・放射線科で一生懸命になった理由… ・昔の「自然死」「老衰死」は大部分、がんだった
・モルヒネは太古からの痛み止め剤 ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産 ・あなたは立派な患者だった
▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。一番恐れている死に方が、実は理想とは。
数年前に独り住まいの孤独死が問題になり、そのTVドキュメントを放映していた。そこで、誰かが、
「孤独死が悲劇というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する見方があった。家族に囲まれても、
死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への恐怖も、残されたものの思い込み。生き残るものは
立場からして違うのである。哀しみの感情を満たすため、当人の真の辛さが二の次。 で、逝く者は地獄になる。
やはり自分の延命に対する「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に準備を考えると、65歳が引け時だったか。
・・・・・・・
4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に
2012年07月22日(日)
* 日記は翌日の午前中につける
ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。当時の貴族たちの多くは、日記は翌日の午前中に書いた。
つまり前の日の出来事を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは極最近のこと。前日とはいえ、時間をおいて思い出すのは
脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめることができる。私は日記的メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、フリー落書き帳を、
三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。
改めて考えると手帳お宅、そのものである。内省的性格からして、これほど自分を落ち着かせる習慣は他には見当たらない。
朝、4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログにアップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、
風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、翌日分の随想日記内容の下書きを書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。
その中の空き時間にiPadで週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリングの出発前の10分間
ほどだったが、9時過ぎに時間を移行することにする。それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
* 父親のこと ー2
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07月22日(月)
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