ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393739hit]
■4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
* アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことをさせます。観客を怒らせるためです。
そして観客に、「どうしてもっとやり返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出るわけです。
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、すっきりするわけです。
そもそも人間の感情として怒りが具わっているという点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。
たとえばニーチェが『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な世界観を描いたのは、
そのことをいいたかったからです。 アポロンは美と光の神、ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。
古代ギリシア人たちは、アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、決してそんなことはない。
実は人生の暗黒の側面と激しく戦って、それを征服し、苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な
側面があるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの影であって、本質的なところで苦しさを
受け入れているからこそ、彼らは強く明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに象徴される
怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。・・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、
あるがままに受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。これが彼の超人思想の根幹ですから、
その意味で怒りは避けるべきものではなく、素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。山高ければ谷深しである。
人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
変わって見えてくるから面白いのである。 両親や、社会のバイアス(先入観)に縛られ、光の当て方さえ知らずに、
小さな岩場の穴に閉じ込められていることさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。
他者に原因を求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を見出すことが正しく怒ること。
怒りを生み出している原因は客観的なもの。それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど肯定している本は珍しい。
怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。
自分に怒り、相手に怒り、社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの人生が台無しになるが、
正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、
政治家も国民も、目先の安易を選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても、「成長なくして生存なし」と曰っている。
その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
* あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。
ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる 』ハズだった。
日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストのような
[5]続きを読む
07月04日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る