ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4465, 余命半年 −3
「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
* モルヒネか、プチッか
父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、
私だけでないだろう。ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くするしかない。
中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整(強く)すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。一般的に、モルヒネを使うと、死期を早めるが、
専門医が適切に使えば苦痛を減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めている、と思われるが、
ガンの進行に合わ強くしているための誤解。末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。ここで知ったのが、「鎮痛補助剤」。
坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。
で、プチッ=安楽死はどうか? これは現在の日本では禁止されている。ただし、死ぬ前から、その意思表示をしておけば、
医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。 何らかのカタチで、余命数ヶ月を言い渡されるか、
自分で悟ることになる。その時から死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶することになる。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネを大量に投与をして亡くなっていった。
「苦しみを最小にするに、それはそれで良い」と著者も述べている。 ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回っている患者を数人掛りで押さえ縛りつけている現場に案内し、隠れ見る場面があった。
義兄のガンの末期も似たような場面を聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で苦痛のため頭を掻き毟っている姿もみた。
とにもかくにも、三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。 元気なうち、出来るうちにすべきことを成すべき。
アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の一しか効かないという。 アル中ではないが、絶対量を飲んできた私も、
その報いが出てくる可能性が高い。「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。 生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
* 幸福とは 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の目的である。晩年になると、
来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、
タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。
ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えないだろう。老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、
老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の
悪いことである。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。
近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。それは往々にして退屈に感じられたり、
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06月07日(金)
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