ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4464,余命半年 −2
             「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
   * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、それを、自分で気づいてないからタチが悪い。
「老兵は、ただ黙って去るのみ」である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。 ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は生物であり、だからこそ本能が、
 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。
生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが生き残るために様々な戦略を取る。
別の遺伝子と組み合わさって、さらに優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して
もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように
「なっている」のである。
 要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の繁栄のために動く」あるいは
「その種の繁栄のために動かされること」なのである。遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が
長く存続できるようにすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。 だから皆、相手を求め、
おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」ためなのである。
 この考えによると、死が到来するのも理解できる。まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。
しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせによってより優秀な個体が生まれているかもしれない。
そうすれば少なくとも「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。つまり古い遺伝子や容れ物は
要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて
しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れなければ、限られた空間に、個体は限度を
超えて殖えてしまうであろう。そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
 ▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、諦めきれないのが知識を持った私たち。
「余命半年!」と宣言された時の衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、その恐怖との
 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
   * 老いを受け入れる     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した
感情として被害者意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。
それは「尊厳を保った肯定的老人」とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。竜宮城における快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら
様子がおかしい。家々の停まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、
驚くほどの年月が故郷では経過していた。太郎はすっかり世の流れに取り残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまうわけである。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」の

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06月06日(木)
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