ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4463, 余命半年 −1
「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。「あと余命半年」と悟った時に何をするか?
その時には、苦悩と苦痛が頭を占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」と言えるよう、
普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の
余命を宣言されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死の数倍の確率というのが現実である。
その瞬間から悟りすまして生きるなど、無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、心を平静に保つしかない。
ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪ 「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうするだろうか?
とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外の国に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまうだろう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、その半年の間に
やるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を向かえることが出来る自信はあるだろうか?
・・・まさに人の数だけ物語があり、バッドエンドもハッピーエンドもある。
ある時から、私は何がこの二つを分けるのか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に色濃い
闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から老いることを、病気になる前から病気になることを、
死ぬ前から死ぬことを考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて生きようと、そう思った
人間にはそれ相応の最期が約束されるということがわかった。
老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、ものすごく精神力を使い、大変な作業である。
ともすれば抑うつ的になってしまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、最期ばかりか、
明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、
そう遠くない先に直面するのである。その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、段階をおってるから、シビアで引き込まれる。
緩和医療のお医者さんもあり、著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨である。
「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言えるための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
* 役割としての「年寄り」 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」という。村の長老は、争い事の仲介者としての
役割が最も似合っている。若づくりをした粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いものである。
≪ 【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。
老人ホームとか、老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験や年輪を重んじている気配が感じられる。
相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」
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06月05日(水)
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