ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4289, 学ぶということ −3
                   「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著
   * 教えたい人間が引き受けるべきリスク ー教育の原点
 教育だけでなく、事業も、忘年会の幹事も全てに通じる内容である。何かを引き受けたり、事業を立ち上げたようと
決心した瞬間から全うしようとする自己責任が起きる。これは誰の問題でなく自分の問題。決心と実践の本質の問題になる。 
著者は教育者のため「教えたい人間」が主語だが、実は「実践者としての人間」が、引き受けるリスクのテーマである。
  ー まずは、その辺を書き出して考えてみる。
≪ 教えるということは本質的には「おせっかい」だということが骨身にしみたのは、ある出来事のせいです。
 ・・80年代の中ごろ道場を始めた。台風がきて、一時間くらい薄暗い体育館の中でまっていたけど誰も来ない。
そこの道場の中に座りこんで、来るか来ないかわからならない門人が来るのを待っている。これは理不尽でないかな、と。 
「だいたい、ただ同然のすごい安い月謝で教えているのにさ、ちゃんと来いよな」と思ったり、だんだん気分が沈んできた。
そのときに体育館の鉄の扉がガラガラと開いて、近くの中学生が顔を出した。「あ、先生いたんだ。今日台風だから
稽古ないのかと思った」「台風でもやるよ」。それから二人で一時間くらい稽古をしました。そのとき、外で嵐が
荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰も来ない畳の上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。
人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と
言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければ! そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、
待ってなければいけない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。
それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのとき、教育というのは多分そういうものと思ったのです。 
27・8歳の頃でしたが、気持ちは今でも変わっていません。それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。≫ 
 ▼ 新潟で30年近く前に立ち上げた会が、今でも続いている。私は10年ほど前に抜けたが、先日、参加してきた。
  私の経験からして幹事は大変のはず。これを立ち上げに際して、3年は続ける! が、後は成り行き次第と決心をした。
 最初は我慢我慢の連続。「荒れ狂う、体育館で腕組み」なんてものでない。その会を利用してやろうという気が全くないため、
 逆に欲が見えてくる。それも土足で平気で上がりこんで来る。「私は来てやっている」というのが丸見え。その我慢そのものが
 修養になったが、「自分が引き受けたからには、やるしかない」と続けたが・・。 慣れると、その我慢も面白くなる。
 何も知らず参加している方々は、私は鼻持ちならない傲慢な場所貸しの男でしかない。 そして30年、時代は大きく変わった。
 事業も同じ。これは己の魂の問題。生きんがため、そして自己実現のため、リスクを背負い、心の奥底は半狂乱。それを隠し、
 ひたすら思いの実現のため手順を踏む。起承転、の後に待っていた「結」は、経済大震災。40年前に事業を始めるにあたって、
 全てを失っても後悔はしないと何度も心に誓ったので、後悔の念は無い。リスクに、普通のリスクと震災型リスクがあったのだ。
・・・・・
3914, 50冊の本をデジタル化してみて
2011年12月13日(火)
 iPad2を購入して4ヶ月になるが、これは良い。パソコンゲームは面白し、ネットサーフィンが直ぐに出来、電子書籍を気楽に読め、
アプリが豊富で面白いのが手軽に入手出来るなど、充分に満足している。そうこうあって二ヶ月前に50冊の本をスキャン代行業者に送り
デジタル化した。 本を送った一週間後に封筒に一本のUSBが送ってきた。そこに全てが入力されていた。 
ところが、これをiPadに如何したら移行したらよいか分からず二ヶ月以上経った。 サポートセンターへ電話をすれば済む問題だが、

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12月13日(木)
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