ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
   * 幸福とは             「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の目的である。晩年になると、
来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、
タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。
  ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えないだろう。老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、
老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の
悪いことである。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。
 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。それは往々にして退屈に感じられたり、
 無価値に映る(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
 ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな分野で文章を
 綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せているのである。詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、
「人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、
 答えは「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
 老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で
 高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人には
 むしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。こうしたことも、
 歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた
 軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を
 形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。
  ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げないというか、若さの尻尾を引きずっているというか、
往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や 古ぼけた中年としか見えない。歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。
それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。
  それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として
  思われる。とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々である。それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
・・・・・・
3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜②
2011年06月07日(火)

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