ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3319, 理性の「理」は、理由の「理」
   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著

 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たちに聞いてみたが、納得する答えがなかった。
そこで字づらから、王の里で、真理の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた
『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著に、カントの「純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
 《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する 
「ラテオ」は、同時に「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の「根拠」、
 物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と答える能力が理性であると言ってよい。 
 20世紀のハイデッガーは、理性と理由、理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力である。理性は物事を基礎づける根拠である。
 根拠は、純粋理性の理性的根拠以外にはない」
 ところで、この「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。
 それは「なぜ?」という問いである。「なぜ?」と問われて、はじめて「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
  ――
 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に「なぜ?」と、問う能力である。
分かっているようで、分かってなかったようだ。そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が
理性的ということになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる物事の基礎を把握したいため」である。
「なぜ?」「なぜならば」と、言っている限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。
 認識に経験論と合理論があるが、合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対して、
合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。  −つづく
 ・・・・・・・
2944,ブラックアウト
2009年04月27日(月)
 ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあったー
blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。
例えば、飲んでタクシーで帰ったが、友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。
社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。
ブラックアウトの出現は、アルコール依存症の入門切符である。
 ーー
「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを
逮捕されたもので、何と猥褻罪という。深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと
思うのは私だけではないはず。有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、酔っ払い保護センターもあるし、
騒ぐほうも騒ぐほう。これが情報化の恐ろしいところである。私など20数年間で新潟で酒を飲んで6回も新幹線を
乗り越した経験者。以前から「酒を飲んだ後の記憶がなくなったら、要注意」と酒の先輩格の人から聞いていた。
思い返すに一番酒を飲みまわっていた時に、何度かブラックアウトの経験がある。
それにしても、これだけ酒の失敗を重ねても警察の世話になったことがないのは、不幸中?の幸い。
草薙の場合、8合というからやはり飲みすぎ。 しかし酒癖の悪い私としても、どうしても甘くみてしまう。
二軒目からは焼酎のお湯割りだけにして、楽しい酒にすること。 そして、馴染みの店以外は行かないこと。
酒で人生を多くの失敗したが、その数倍は楽しく面白い思いもしてきた。

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04月27日(火)
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