ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3320, 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす
『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著 −2
  
* 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす  
学生時代の問い「理念の意味は何か?そして、その理の意味は?」が、40年以上経った現在、
その答えを見つけたのである。何か微妙な感覚である。 
理念が理性の「何故?何故?」を徹底した問いの極限というから、眼から鱗である。
 ーまずは、その部分を抜粋して考えてみる   P−24
≪ 理性的とは、「なぜ?ーなぜならば」という仕方で物事に筋道をつける能力である。 それも、どこまでも
道筋をつける能力である。 というのは、「何故?ーなぜならば」の関係は原則的に一組でほ終わらないからである。
一つの「なぜ?.」にいったん「なぜならば」と答えても、その答えに対して再び「なぜ?」と問いうるし、
そのまた「なぜ?」へとさかのぼりうる。 理由のそのまた理由……、原因のそのまた原因……、という具合にである。
そのようにして、「どこまでも」ということは、「徹底的に」という意味になる。 そして「徹底的に」ということは、
究極に迫るということ、すなわち、最後には「極限」にいたるということである。 それは、理性が推理の能力である
ということと表裏一体である。 ある物事(結果)の理由や原因には、そのまた理由や原因がある。 すなわち、いったん
「なぜ? なぜならば」の推理が開始されるや、その鎖は原理的にどこまでもさかのぼる。ということは、理性は原因の
そのまた原因、そのまた原因のさらにそのまた原因、等々の果てに、必然的に究極原因を求めざるをえなくなる。
要するに、理性は極限に迫らざるをえないのである。 いわゆる「理を通す」とは、そういうことである。・・・・
・・(中略) 冷めた言い方をすれば、理念は理性固有の本性や関心から理性自身によって生みだされ、現実社会に
合理的な脈絡をつけるために、現実社会のかなたに「投影」された像に他ならない。 それは現実社会を合理的に
読みとくためには、はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。
 ところが、ひとたび投影され現実世界と融合した像は、いつしか現実世界の一部はおろか、その全体として
実在するかのように、うっかりと思われてしまう。 ちょうど、熱心な観客が映画のスクリーンの中に、
あたかも実在の世界があるように思い込んで、感動したり憤慨したりするように。 このように、理念は
「功」と「罪」の両面性を持っている。 この両刀論法、すなわちパラドックスの原因とオーバーラップする。
この理性の両面性事態がまさしくパラドックスである。 このパラドックスこそ、アンチノミー(二律背反)に他ならない。 
その理性が意志をコントロールし、決定をする。 ≫
 ー以上だが、我が社の理念とか、私の理念とかで、使うが、まずは理性から考えていかなければならない。
 そうすると、やはり何故、自分は目指すのか、そして、何を目指すのか、その根拠(理性=理由)を明確にし、
それを突き詰めたのが会社理念となっていく。 それが個人としての私の行動指標なら、その根拠の明示が必要になる。
 ・・・・・・・・・
2945,タレント知事をどうみるか? ー1
 2009年04月28日(火)
最近、一時なりを潜めていたタレント知事がマスコミで注目を浴びている。
青島幸男、横山ノックなどで選挙民は、その正体を見てあきれ果てたはずだったが、再び田中康夫、東国原、大阪の橋元知事、
直近では森田健作が千葉県知事になった。田中にしろ、橋元、東国原知事も、現在見るところ、最大限にタレントの経験を
生かしているようだ。産経新聞のオピニオンというコーナーで、その功罪を浅野志郎と佐高信が論じていた。
浅野は、タレント議員を肯定する立場で、佐高は否定する立場である。
 まず浅野は「知名度で圧倒的有利なのは言うまでもない。外に対する発言力に長けている。マスコミに面白がられて
目立つことも悪くない。また政治的未経験について、「ほとんどの知事は政治未経験者だ。これは決してマイナスでなく、

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04月28日(水)
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