ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3313, 対話について
  「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 * 対話について
 プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。 プラトンと、ソクラテスの立場を簡潔に分かりやすく述べている。
 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」として書いた。
ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。
ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。
それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる
特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。 会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出し
対話する人の生そのものである。 そして、人と状況は、その対話を通じて変化していく。 対話を交わした人のあり方は、
もはや以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を形作るものである。
そして、対話は、二度とくりかえさることはない。
 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか起こりえない対話を書き物に結晶させた時、
それは時を越えて反復可能なものとなった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが対話を反復させる。 
私たちの心のなかには、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、
著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、それを再び時間において
くり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが従事する生きた対話と、
それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話
という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると自慢する
テウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
 〜〜
 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を
読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。
その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。
現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。
それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが! 
 議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること!  チロリチロリだけでは、だめか?

 ・・・・・・・・
2938, イエスマン
2009年04月21日(火) 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した
ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、
“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、
週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。

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04月21日(水)
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