ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て
           (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、
明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。
この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、
自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように世界の文明と自然を見る
ことができたのが最大の収穫である。

21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の大きな変動を見るにつけ、
何と恵まれためぐり合わせが良かったと、信じられない思いである。
情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態は
SFの世界に迷い出た思いである。 20世紀と対比できるから言えるのだろうが。
恐らく、数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。
その不思議である。 21世紀は、やはり違う世界である。それも想像を遥かに超えた。

その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。
この地球の大自然の由来は、宇宙の果ては、130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、
それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのようになっているのか、等々、
疑問が噴出してからである。

地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み、人類の遺産の文化や文明を見てきた。
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。
それらを考えること(哲学をすること)で、少しずつ理解できると哲学者は言う。
「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。
少し地球に存在し、少し認識したということか? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。
我われは地球に、遊びに、働きに、そして学びに来ているのである。
「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。
                 (((。・-・)从ホンジャ
・・・・・・・・・
2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪

この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」
という内容に関しては、深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?
両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、色いろな体験をしているからだ。
父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。

{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}

「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、まさに上記のとおりである。
「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、
寒気がしたのを憶えている。ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。
本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。

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他者の死はなぜ悲しいのかーB
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、
記憶として存在する他者は、その限り、「存在する」。この存在の意味を考えてみよう。

死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、
死んだ人はあの世にいると納得したのではなかったか。
心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。
彼は「今」どこにいるというのか。生きていたのは誰なのか。という、
かなりの程度奇妙な問いが、押えがたく立ち上がってくるのが、ここである。
更には、「生きている」ということすら、
肉体の所有と消滅で理解できるような自明な何かなのか。


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11月28日(水)
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