ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2
戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。
だから、これだけのことが言えるのである。
早くいえば、終戦時に日本を骨抜きにしようと、腰抜け憲法をアメリカが押し付けた。
そして、今日までそれを大事に大事にしてきた。国民の去勢化である。
そして、その完成が、あの「ゆとり教育」である。
その結果が現在の、公立の小中学校の先生と生徒の様である。
さらにニートとかいう完成品である。 そして人生を投げてしまった奇妙な人たちである。
彼は教育の最終目的は、子供たちを『独立』させることだという。
だから独立にいいものは善で、悪いものは悪。 ハッキリさせている。
だから体罰は善。いじめも善。 褒めるより叱るが善に決まっている断言する。
学校にカウンセラーなどトンデモナイものを導入した。 これ自体がおかしいという。
−戸塚の文を抜粋しながら考えてみる。
ーーーーー
*体罰もいじめも善である*
恥ありて且つ格(ただ)し
恥を知るは勇に近し
前者は論語で、後者は中庸の一説である。
恥をかくことが人間を進歩させることを昔の人はちゃん、とわかっている。
それなのに先生は叱らない。みんなの前で叱るようなことはまずしない。
公衆の面前でやれば、それだけ恥は大きく、相手の進歩に役立つ。
それがわかっていない。 体罰もいじめも善である
体罰というのも、相手の進歩を目的にするものである。だから体罰も善だ。
もちろん世の中には、目的を考えずに体罰をする人もいる。
ヒステリーを起こして、無茶な罰をして怪我をさせたりすることがある。
そういう人は自分のためにやっている。強くならなかった人がそういうことをする。
ヒステリーになるのは、自分の中で情報が満杯になってその処理ができない人だ。
弱いから、相手のことを考えられない。
だが本来、体罰はそれを受ける子供の利益になるようにするものなのだ。
いじめだって同じことだ。いじめも善なる目的を持っている。
相手のためにいじめる。弱いものを強くしようとしているのだ。
ヨットスクールでは、いじめはいいことだと断言している。
ただし、いじめ方次第とも言っている。正しいいじめというのがある。
それは、相手の行動についていじめることだ。走るのが遅いとか、
ヨットの扱いが下手くそだとか、みんなでやる仕事で足手まといだとか、
わがままだとか。そういう相手の行動について言う。
そうすると、その行動が直ったときに、いじめは収まる。
行動が正しくなったとき、いじめは終わる。そこから抜け出す出口があるのだ。
社会で問題になっているのは、存在を否定するいじめだ。
これには終わりがないし、出口もない。ストレス発散のためや、金を取ったり、
パシリをやらせたり。自分のためにする。それはいじめる奴が弱いからだ。
力を正しく使っていない。そういういじめはもちろん悪い。
だが、それとは違う正しいいじめがあるのだ。
精神を進歩させるには何を行えばいいのかがまったくわかっていない。
それはそもそも精神がどういうものか理解していないからだ。戦後の民主主義教育では、
精神は限りなく自由で尊重されるべきもの、というような認識でしかない。
理性もそうだが、これは西洋合理主義から考えもなしに取り入れた借り物である。
少し前にテレビで売春している中学生が出てきたのを見たことがある。
彼女は開き直って、誰にも迷惑をかけてないじゃない、
それって私の権利じゃないの、と言っていた。
理性や自由尊重の教育がこういう子供を生み出したのだ。
これに対し、番組の出演者の誰一人として言い返せなかった。大人も子供もこのザマだ。
みんな理性も自由も権利もその意味を知らない。
権利を日本語として考えているから分からない。
権利は訳語で、英語ならright。rightは正しいって意味。
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10月23日(火)
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